「いいこと」も「わるいこと」も心が作っている妄想である

雨に濡れる本堂。屋根から落ちる雨音が、静かに響き渡ります。

「いいこと」と「悪いこと」は誰が決めているのか?

朝テレビを見ていて、天気予報が流れると、「今日は晴れだからいい天気だ」「今日は雨だから天気が悪い」と言いながら見てしまいます。

道端で知り合いと出会ったときに、あるいは仕事で誰かと会話をしたとき、晴れていれば「いい天気ですね」雨が降っていれば「わるい天気ですね」と言ってしまいます。

でも、実は「いいこと」も「わるいこと」も、すべては自分の心が作り出しているのです。極端にいえば、ものごとに対して「いい」とか「わるい」とか思うことは、すべて「妄想」であることを知らなければいけません。

ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。

ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。

ダンマパダ1、2

ものごとはすべて、心が作り出しているものです。そして、ものごとに対して心が反応し、自分の都合のいいように解釈をしてみているのです。

天気が晴れているのは、雨が降っていない「晴れ」という現象がそこにあるだけであって、そのこと自体にいいもわるいもありません。また、雨が降っているときには「雨が降っている」というげんしょうがそこに生じているだけであって、そのこと自体にはいいも悪いもありません。

これらの現象を受けて、心が自分の都合のいいように解釈して受け取って、「いい」とか「わるい」という考えが生まれてくるのです。

つまり、「いい」も「わるい」も、自分の心が生み出している妄想に過ぎないのです。

私たちが悩み苦しむのは、世の中の現象に惑わされるのではなく、世の中の現象を受けて反応した自分の心に惑わされているからなのです。

世の中の現象をあるがままに見て、あるがままに感じて、あるがままの姿を、あるがままに味わう。

そうすることで、味わい深い人生が開けてくるのです。

タイトルとURLをコピーしました