お寺の掲示板『手を合わすお礼の姿うつくしく』

人の尊い姿

法事やお葬式、またお寺にお参りしたときなどには、皆さんは必ずと言っていいほど「合掌」をされると思います。

ところで「合掌」と言われると、どことなりと堅苦しいイメージを持ってしまいますが、実はとても身近な行為です。

例えば、ご飯を食べる時に「いただきます」や「ごちそうさま」といって手を合わせることがあると思います。あれもちゃんとした「合掌」という行為です。

 

合掌はインド古来より伝わる敬礼法で、相手に対して敬いを持って接する時に行う行為です。

インドでは様々な敬礼法があり、例えば右回りに相手の周りをぐるぐる回る作法や、地面に身体をなげうって体全体を使って敬意を顕わす礼法などがあります。その中のひとつとして合掌という行為があります。

合掌は日常的にも良く使う行為で、「ナマステ」と言って合掌するのがインドの挨拶です。「ナマス(namas)」は頭を下げて相手を敬うことを意味し、「テ」は相手のことで「あなた」という意味があります。つまり「ナマステ」は「あなたを敬い礼拝します」というような意味になります。

何気なくしている行為ですが、実は大変尊い行為なのです。

 

また、右手は清潔で清らかな「浄」の手、左手は反対に「不浄」の手とされていました。このことから、右手は仏様、左手は私であるとして、手を合わせることによって仏様と私が一体となり、常に一緒にいるということをあらわしています。

私たちは一人で生きていくことができません。周りの人に助けられ、いろんなもののおかげになり、たくさんの命をいただいて生活をさせていただいています。

ひいてはご先祖様がいたから私が生まれることができたのであり、見えない仏様のたくさんの力によって生きていくことができるのです。

「一人では生きていくことができない」ということの裏を返せば、「いつも誰かと一緒にいる」ということになります。離れること無く、つねに誰かがそばにいてくれているということです。

 

「いつも誰かと一緒」の表れが、合掌です。

誰かに助けてもらった時には「ありがとう」とお礼を言うように、一人で生きていくことができない私といつも一緒にいてくれている仏様やまわりの人たちに感謝したとき、現れて出てきた姿が合掌という姿なのです。

そして、この感謝の心が、今後のよい人生を作り出す原動力にもなります。

心美しく清らかな人間であるために、合唱して感謝の心を忘れないようにしましょう。

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