他人を思いやる4つの心

他人を思いやるこ時に大切にしたい心とは? 
人は、周りの人と良くも悪くも関係を作りながら生きています。いい人間関係が作れることもあれば、うまくいかないこともあるでしょう。
そして、いい人間関係を構築することができた時、それだけで悩みは小さくなり、あるいは今抱えている苦しみを消し去ることもできるでしょう。
しかし、いい人間関係を作っていくためには、他人に対する思いやりの心を大切にしなければいけません。
ここでは、仏教の教えから四つの思いやりの心を紹介します。

四つの思いやりの心【四無量心】

私たちが持つべき四つの心があります。これを「四無量心」といいます。

四つの心とは「慈」「悲」「喜」「捨」のことです。「無量」は「はかり知れない」ということで、対象を限定せず、生きとし生けるものすべてに対して持つべき心です。

生きとし生けるものすべてに対して持つべき心、とはいうものの、「生きとし生けるものすべて」なんてイメージがなかなかつかないでしょうし、イメージできないものに対する心を起こすことは難しいでしょう。

しかし、少し考え方を変えてみてください。自分の身近な人や、仕事などで出会う人に対して、あるいは自分が関わっているすべての人に対して持つべき心、という風に考えれば、イメージもわきやすく、自分にも関係のあるものだと考えることができるのではないでしょうか。

「慈」相手に楽を与える心

「慈」は相手に対して楽を与えること。言い換えれば、喜びを与えるということです。そして、相手の幸福を願う心のことです。

目の前にいる人に対して、何をすれば喜んでくれるでしょうか?何をすれば相手は幸福になってくれるでしょうか。

子どもの頃、「自分がされて嫌なことはやめましょう。自分がしてほしいことを相手にもしてあげましょう」ということをよく言われました。本当にその通りだと思います。

相手が何を望んでいるか、それを知ることほど難しいものはありません。だから、相手を自分に置き換えて、「自分だったら何をしてほしいか」を考えることが大切なのです。

相手の立場に立ち、相手の喜びそうなことをしてあげる、あるいは自分がしてもらったうれしいことをしてあげる。このように接することが大事です。

「悲」相手の苦しみを抜く心

「悲」は相手の苦しみを抜くこと。

例えば、お母さんがたった一人の子どものことが心配で心配で、いつも気にかけているような様子です。子どもがけがをすれば「痛いね」、子どもが病気になれば「つらいね」と言って、心配して声をかけたり、病院に連れて行ったりして、どうにか子どもの痛さや苦しさを和らげてあげようと思うのではないでしょうか。

そのように、相手に対して少しでも苦しみ少ないようにと気にかけ、声をかけ、接してあげる心のことです。

「喜」相手と共に喜ぶ心

「喜」は相手の喜びを、自分の喜びのようにして一緒に喜ぶことです。

相手が喜んでいるとき、何かうれしそうな顔をしているとき、妬んだ心を起こしていませんか?仲間が仕事や勉強などで大きな成功を成し遂げた時、一緒に喜ぶことができるでしょうか?「自分のほうが頑張っているのに」「なぜあいつだけいい思いをしている」と、悔しくなったり妬んだりしてしまいがちです。

他人の喜びを妬み、一緒に喜ぶことができなければ、周りの人は自分から離れていってしまいます。逆のことを考えてみてください。自分が何かに成功した時に、それを妬み、恨む人と一緒にいたいと思うでしょうか?

「相手の幸せは自分の幸せ」のように、ともに喜ぶ心が大切です。

「捨」平等に接する心

「捨」は偏った心を捨てることです。つまり、誰とでも平等に接する心です。また、感情に関しても偏ることなく接しなければいけません。

例えば、人を愛することはとても大切なことです。しかし、恋は盲目ともいうように、愛する感情が行き過ぎてしまうと、理性や常識を失ってしまうことにもなります。愛するあまり、その人が自分のすべてになり、その人の行動がすべて正しいと考えてしまい、他の誰かを傷つけたり、最悪の場合犯罪にかかわって大きな罪を作ってしまったりすることもないともいえません。

また反対に、例えば子どもを間違った道に生かさないようにしっかりと育てていかなければいけない、という強い思いのあまり、子どものやることなすことのすべてに口をはさみ、無理やりいうことを聞かせ、子どもの行動を制限して縛りつけてしまっていることもあります。

「相手のために」という思いはとても大切なことで、忘れてはいけないものです。しかし、そこに執着をしてはいけません。「こうしなければならない」ということに固執して、偏った感情を持ってしまわないように注意しなければいけません。

慈悲と喜捨

「慈悲」「喜捨」という言葉を聞いたことがないでしょうか?これらは、今紹介した四無量心の中から表されたことばです。

「慈」「悲」「喜」「捨」と分けるよりこちらのほうがなじみがあるかもしれません。

「慈悲」は「慈」と「悲」を合わせたもの。相手に喜びを与え、相手の苦しみを抜いてあげることで、合わせて「抜苦与楽」という言い方をしたりもします。

「喜捨」は「喜んで捨てる」と書くように、物惜しみせずに相手に与えることです。

「これは自分の物だ」と自分の持っているものに執着すると、そこから苦しみが生まれます。持っているものが自分の手から離れてしまう「愛別離苦」という苦しみです。財産も、地位も名誉も、愛する人も、「これらはすべて自分のものだ」と執着することで苦しみが生まれます。その執着を手放さなければいけません。

「喜捨」は、「これは自分のものである」という執着から離れる心です。そして、その行為として「布施」があります。物惜しみせず、自分の持っているものをその時にできるだけ差し出すことを日ごろから訓練しておくことで、苦しみから離れていくことができるのです。

最後に

「慈」相手に楽を与える心
「悲」相手の苦しみを抜く心
「喜」相手と共に喜ぶ心
「捨」平等に接する心

他人を思いやることは大事なことです。しかし、間違った思いを持つと、争いや苦しみの原因にもなります。

常に相手の立場になり、相手が何をどう感じ、何を考えているのかをよく観察してから、接するように心がけましょう。

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