物事をどのように受け取るか?この世は自分の心が作り出しているもの

境内の木にとまって鳴くセミ。夏の訪れを感じさせます。

物事をどのように受け取るか

夏の訪れを感じさせる季節になりました。

総持寺の境内では毎日セミがたくさん鳴いて賑やかになっています。悪い言い方をするならば、うるさいです。

セミがミンミンと大きな声を出して鳴けば鳴くほど、ムシムシと暑さを感じるようで、夏の厳しさの原因は実はセミの鳴き声なんじゃないかと思うときもあります。

私のように、セミの声を少し不愉快のように感じる人もいれば、また反対にこれをうれしく思う人もいると思います。もうすぐ夏休みで、どこへ出かけようとか何をして過ごそうとか、セミの声から夏の楽しみを見いだす人もいることでしょう。

さて、このようにセミの声は誰もが同じように聞いています。しかし、これを聞いて何を感じ何を考えどう思うかは、人それぞれです。私のように不愉快と感じる人もいれば、先の予定を考えて楽しみを感じる人もいるわけです。

つまり、快、不快というものは、その人自身の心が生みだしているものなのです。

そして逆に考えれば、物事に対してどのように受け取るかで、世の中の見え方が変わってくるということです。

 

西山上人はこのような言葉を残しておられます。

山の三角 弥陀の三尊

松吹く風も 聖衆来迎

西山上人

三角にそびえる山は、まるで阿弥陀仏、観音菩薩、勢至菩薩の弥陀三尊のようであり、松に風が吹き付けて揺れる様子は、まるで仏様たちがお迎えに来ているようだ。

そういう風な意味の言葉です。

普通に考えれば、山は所詮山でありそれ以外の何でもないし、松に風が吹いて揺れる様子も、ただ風で待つが揺れているに過ぎないものです。

しかしそれを西山上人は、阿弥陀三尊と仏様のお迎えの様子に見たのです。

何気ない風景を、何気なくただ見つめるのではなく、実はそこには仏様のお計らいがあると受け取るのです。するとどうでしょうか。それだけで物事の見え方が変わってくるのです。

物事は自分の心が作り出している

この世の物事は、すべて自分の心が作りだしているものです。いいことも悪いことも、楽しいことも苦しいことも、全部自分の心が判断して自分の都合のいいように受け取って判断しているのです。

このことに気がつくことができれば、物事の見え方を変えていくことができます。

山の三角も阿弥陀三尊であり、松吹く風も仏様のお迎えの様子であるとみることで、常に仏様に守られて、生かされて生きている安心感を得ることができます。

そのように、毎日うるさく鳴いているセミの声も、例えば一生懸命にお念仏をしている人の声だと受け取ることで、お念仏に包まれる仏の世界を感じ取ることができます。

暑く厳しい夏ですが、阿弥陀仏に守られ、お念仏に包まれている喜びをかみしめ、一日一日を大切に過ごしていきたいものです。

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