2022-02

法話

三年坂は残念な坂

三年坂の由来は「残念坂」でありました。転ぶと三年しか生きられないというこの坂で転んだおじいさんは一時床に伏せてしまいますが、若者に「一度転べば三年長生きできる」と言われて何度も転ぶことで、元気に長生きしたといいます。まさに病は気からであります。
法話

井戸に落ちた猫

井戸に落ちた猫が、梯子を駆け上って無事に助け出された様子を見て、自分自身の境遇と重ね合わせました。その猫はまるで、苦しみの闇の中にいる私のようです。そんな私に阿弥陀仏は救いの梯子をかけてくださっています。仏のお慈悲によって、暗闇から抜け出すことができるのです。
法話

自分を愛するということ

自分を愛することは大切です。西山上人は「衆生の重んずる宝、命にすぎたるはなし」といいます。自分の命ほど大切なものはないのです。それは他者も同じです。だから、自分を大切にするように、他者に対しても接していかなければいけません。
法話

ずるいと思う自分が誰よりもずるい

ずるいと思う自分が誰よりもずるいと思うのです。辞書にはわるがしこいなどの意味もありますが、妬み嫉みの感情から起こるうらやましいという意味でも使うように思います。気をつけていても嫉みの心が起こってしまう自分の愚かさを痛感します。
法話

執着は心の握手

執着は心の握手のようだと、お笑い芸人の小島よしおさんが言いました。強く握れば相手の手は痛くなる、さらに力を入れれば自分も痛くなる。相手の気持ちを考えて、いい加減で握手をするように、他人と接するときにも相手を思って接することが大切であります。
法話

オリンピックの聖火に見る仏の光り

北京オリンピックの聖火は目を見張るものがありました。聖火ランナーのトーチがそのまま聖火台になったのであります。世界の国と地域を記した雪の結晶を照らすその炎は、まるで世界を分け隔てなく照らす阿弥陀仏の慈悲の光りのようであります。
法話

鬼は外とはいうけれど

節分には「鬼は外、福は内」と声をかけて豆まきをしますが、場所によっては「鬼は内、福は外」と言うところもあるそうです。鬼は外からやってくるものではなく、自分の心の中にいるものです。自分勝手で鬼のような自分の心を、外へと追いやるのであります。
お寺の掲示板

お寺の掲示板『私はしばしば仏を忘れるが、仏は私を忘れない』

お寺の掲示板『私はしばしば仏を忘れるが、仏は私を忘れない』阿弥陀仏は念仏する人をすべて救うと誓い、その願が成就して仏となりました。衆生の往生と阿弥陀仏の成仏とは同時におこったことであり、つまりは衆生と阿弥陀仏は一体であるのです。これを機法一体といいます。