
「星とたんぽぽ」金子みすゞ
明治36年、今の山口県長門市仙崎に生まれた金子みすゞ。
大正時代に活躍し、数々の詩を残されました。
どの詩をとってみても、味わい深く、思いやりのあるものばかりです。
なかには自然の風景やそのあり方を見つめ、もっと深くまで掘り下げて考えていくような詩もあり、何度読んでもおもしろいものがたくさんあります。
星とたんぽぽ
青いお空の底ふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまで沈んでる、
昼のお星は眼にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。散ってすがれたたんぽぽの、
瓦のすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根は眼にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
草を生やす大地、人や生き物を生かしている自然と宇宙、そのすべてを成り立たせている目に見えないものを描いています。
ここには、目に見えない命が輝いていることを感じさせてくれます。
小さな小さな蟻の一匹から、何億光年の光を放っている星まで、そこには永遠の命はなく、いつかは必ず終っていくもの。
また同時に、あらたに生まれてくる命がその裏に内在しているもの。
自然の本質的なものは、目に見えないところにあるのです。
仏教には「言亡慮絶」ということばがあります。
言葉には言い表すことができない、という意味です。
お釈迦様のさとりはお釈迦様だけのもの、お釈迦様だけの心、感情、喜びであります。
それを如何にして人々に伝えていくか、そうして八万四千という多くのお経が生まれたのです。
逆にいえば、どれだけの言葉を尽しても、お釈迦様の悟りは言い表すことができないのです。
お経のことばに惑わされ、本当に見るべきものを見落としてしまっていないでしょうか。
それは、日常生活に於いても変わりません。
私たちの力では、見えないを見ることができません。
しかし、見えないものを見えるものを通して感じることはできます。
人の行動や言葉から、どれほどの心を見ていくことができるでしょうか。
やさしい心からはやさしい行いが見て取れるはずです。
人の心は目に見えぬ。
見えぬけれどもあるんだよ。
見えぬものでもあるんだよ。