西山浄土宗とは?
西山浄土宗は、法然上人を宗祖とし、その弟子の西山(せいざん)上人の流れをくむ宗派です。
西山浄土宗と浄土宗
西山浄土宗は、法然上人の弟子の西山(せいざん)上人の流れをくむ宗派です。場合によっては西山派という呼び方をすることもありますが、正式には西山浄土宗といいます。総本山は京都の長岡京市にある光明寺です。
一口に浄土宗といっても、実はいくつも宗派があります。一般的に知られている、知恩院を本山とする「浄土宗」は、別名「鎮西派」ともいわれ、法然上人の弟子の弁長上人の流れをくむ宗派になります。
ややこしいことですが、単に「浄土宗」と言ってしまうと、知恩院を総本山とするいわゆる鎮西派のことを指すことになるので、間違えないようにしてくださいね。
さらに西山派は、現在では西山三派と呼ばれるように3つの宗派に分かれます。西山浄土宗は、西山三派の一つということになります。
西山浄土宗のおしえ
西山浄土宗の本尊は阿弥陀如来、名号は南無阿弥陀仏です。所依の経典は無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経の浄土三部経で、とりわけ観無量寿経に説かれる教えを信仰しています。
私たちは、阿弥陀仏の絶対他力によって極楽浄土に往生し、救われることができます。そして、苦しみの中にいた自分が、実は阿弥陀仏の救いの中に生かされて生きていたんだということに気づき、喜びのお念仏に生きがいのある生活を開いていくのです。
西山上人はこんなご詠歌を残されています。
生きて身を はちすの上に 宿さずば
西山上人 ご詠歌
念仏申す 甲斐やなからん
「はちす」とは、蓮の花のこと。生きながらにして私たちは蓮の花の上に身を宿さなければ、念仏を称える甲斐が無いじゃないか、といった意味です。つまり、極楽浄土に生まれて救われるというのは単純に死後のことではなく、その救いを現在に見出して、今を悦びのある生活に変えていこうとするのが、西山上人の教えの特徴です。
誰でも救うという阿弥陀仏の慈悲の力を素直に受け入れて、その喜びから生きがいのあるお念仏の生活を開いて行きましょう。
西山浄土宗 われらの信条
一、われらは 悩みを救いたもう 阿弥陀仏に帰命したてまつる
一、われらは 仏の大悲を悦び つねに名号を称えたてまつる
一、われらは 仏のみ心をうけて 人の世の光とならん
これは、西山浄土宗を信仰する上での大事な心構えです。
- 阿弥陀仏に帰命すること
- お念仏をすること
- 世のため人のために努力すること
このわれらの信条は、西山浄土宗の教えをわかりやすくまとめられたものです。この信条を心にしっかりともって、しかりとお念仏に励みましょう。