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法話

きれいな服を着るということ

きれいな服を着るということ こんなお話があります。 その昔、あるところに男がひとりで住んでいました。 男の暮らしは裕福とはいえず、毎日仕事をして働いて、その日を...
法話

なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる

「なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」西行法師が伊勢神宮に参拝したときの歌です。どなたがそこにおられるかは知りませんが、あまりのありがたさにおもわず涙がこぼれてきた。目に見えないものや言葉にできないものほど大切にしたいものです。
お寺の掲示板

お寺の掲示板『人はお金の入り口ばかり考えるが問題は出口どう活かすかだ』

お寺の掲示板『人はお金の入り口ばかり考えるが問題は出口どう活かすかだ』。お金が無ければ生きていくことはできません。しかし、稼ぐことばかり考えてはいけません。お金の本当の価値はどのように使っていくかというところにあるのではないでしょうか。
法話

「玩具のない子が」

「玩具のない子が」金子みすゞの詩から人間の生き方を考えてみます。モノや家族がいくらあっても満たされない感情を持っているのが、現代人ではないでしょうか。欲望の充足は本当の幸せを生みません。本当に必要なものは何かを考え直してみましょう。
法話

シロクマのことは考えないでください

「シロクマのことは考えないでください」と言われると、ついつい考えてしまうのが人間。そのように、やってはいけないことをやって罪を作り苦しんでいるのが人間です。見よと言われりゃ見たがらず見るなといえば、なお見たい。天の邪鬼な自分である自覚が大切です。
法話

無一物となった者は、苦悩に追われることがない

無一物となった者は、苦悩に追われることがない。これはお釈迦様の言葉です。人間はモノを手に入れるとそれに執着し、自ら苦しんでいます。また次、また次といって、際限がないのが人間の煩悩です。これらの煩悩を手放すことによって、真の心の安楽がおとずれるのです。
法話

春の種を下さずんば秋の実いかんが獲ん

「春の種を下さずんば秋の実いかんが獲ん」弘法大師空海のことばです。春に種をまいたからこそ、秋に実りを獲ることができるのです。人も同じで何か結果を得たいならば行動しなければいけません。これを菩提心といいます。本当の菩提心とはどんなものでしょうか。
法話

誰が電気をつけたのか?

誰が電気をつけたのか?「自分が」という感覚。人は予測した結果と実際の結果が近いほど「自分がやった」と感じてしまいます。仏教では「自分が」という思いは捨てることを勧めています。目に見えない部分にある力のおかげであるということを忘れないことが大切です。