総持寺について

総持寺の本堂。安政6年(1859)に参詣者の浄財で再建された。和歌山県指定文化財にもなっている。

総持寺の歴史

総持寺は、宝徳2年(1450)、浄土宗西山派の名僧であった赤松明秀上人によって開創されました。

明秀上人はいたって慈悲深く博識な人でした。その人柄につられてか、上人が和歌山へ訪れた際、人々は雲のごとく上人のもとへと集まり、教えを請うたといわれています。ついには上人に対して、永くこの地にとどまってほしいと懇願しました。
その信心深き民衆の思いに心を打たれた明秀上人は、この地こそが仏教伝道の場所であるとして伽藍を建立して阿弥陀仏を安置し、総持寺と名付けて開創するに至ったのです。

以来総持寺は、紀州における仏教伝道の本拠地となりました。また、学問のお寺として多くの人々が集まり、ここで勉強をしたといわれています。

16世紀には後奈良天皇、正親町天皇から綸旨を賜り、勅願寺となりました。しかし天正13年(1585)豊臣秀吉の南征の際、兵火に焼かれて焼失。その後再建されるも、時がたつにつれて次第に劣化し、本堂は大破したとも同然の状態となりました。
そこで、第48世眞空湛霊上人の時代に再建に取り掛かり、安政6年(1859)9月に完成しました。

こうして浄土宗西山派の南本山として、紀州の約160ヵ寺の末寺を持つお寺として伝えられ、多くの名僧を輩出してきました。
また伽藍の多くは江戸時代末期までに建立されたもので、県や市の文化財にも指定されています。

現在は西山浄土宗の檀林として、和歌山の寺院の活動の拠点になっており、「梶取」という土地にあることから「かんどりさん」の愛称で檀信徒や地域の人々から親しまれています。

開山上人

総持寺の開山である明秀上人は、応永10年(1403)播州揖保郡広山に生まれました。

曾祖父は鎌倉から南北朝時代に活躍した赤松則村であり、血筋をたどれば村上天皇までたどり着き、いわゆる村上源氏の末裔であると伝えられています。

総持寺の宗旨

  • 宗派 西山浄土宗
  • 高祖 善導大師
  • 宗祖 法然上人
  • 流祖 西山上人
  • 本尊 阿弥陀如来
  • 名号 南無阿弥陀仏
  • 本山 光明寺

境内案内

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