神さまは小ちゃな蜂の中に

神さまは小ちゃな蜂の中に

金子みすゞさんの詩が好きで、ときどき読み返し、そのことばをゆっくり味わいます。

やさしく、思いやりのあることばづかいに心を打たれ、私の中にある怒りも貪りもすべて消えて、そのときだけは心静かな時間を過ごすことができるような気がするのであります。

彼女の詩の中に、「蜂と神さま」というものがあります。

蜂と神さま

蜂はお花の中に、
お花はお庭の中に、
お庭は土塀の中に、
土塀は町の中に、
町は日本の中に、
日本は世界の中に、
世界は神さまの中に。

そうして、そうして、神さまは、
小ちゃな蜂の中に。

金子みすゞ名詩集 [ 金子みすゞ ]

不思議な詩であります。

蜂から花へ、花から庭へ、庭から土塀、土塀から町、町から日本、日本から世界、そして世界を作った神さまへと大きく広がっていきます。

そして最後にまた、小ちゃな蜂へと、これらが集約されていくのです。

この独特の世界観に魅了され、心がぐっと引き込まれていくような思いがいたします。

金子みすゞさんは、詩を創作するにあたっていろいろな作品を参考にされたといいます。

この「蜂と神さま」も、イギリスの童謡をもとに作られたのではないかと考えられているそうです。

タイトル不詳
ウィンダム・テンナント作
水谷まさる訳

おゝ手拭いとお風呂
お風呂と石鹸
石鹸は脂肪から
脂肪は豚から
豚は麩(ふすま)で飼い
麩を使って腸詰めを作る
人は腸詰めを食べ
神さまは人を生む

どちらの詩も、ものごとの深い関係性をあらわす、味わい深い詩であります。

ここから私は、「華厳経」や「梵網経」に説くところの仏の世界を思い起こしいました。

そこでは、世界の中心には盧舎那仏という仏さまが存在します。

奈良の大仏様が、この盧舎那仏であります。

盧舎那仏の語源をたどれば「光り輝くもの」という意味になります。

つまり、太陽を象徴した仏さまなのです。

宇宙の中心にあって、世界のすべてに対して平等にその力をあたえてくれる大いなる存在としての太陽を、盧舎那仏という仏としてあらわしたのであります。

この盧舎那仏は、宇宙の中心で蓮の花の上に座っておられます。

この蓮には千枚の花びらがあり、またそこにはそれぞれ千のお釈迦様がおられます。

一つ一つの花びらには百億の仏の世界があり、その一つ一つにもまたお釈迦様がおられて、菩提樹の木の下で坐っておられます。

そして、盧舎那仏の化身として千百億というたくさんのお釈迦様が、各地で教えを説いておられるのです。

このように、「華厳経」や「梵網経」では、広大無辺に広がる宇宙という世界観を説いているのであります。

これら千百億のお釈迦さますべてが、一人の盧舎那仏という仏さまにいたるのと同じように、自分も周りの人もこの世を構成する大切な一員であります。

そしてまた、この広大な世界観は、個人の中にも存在しているといいます。

私の心の中に、盧舎那仏を中心とした広大無辺な世界が広がっていると考えるのです。

お釈迦様は、私たちが生きるこの娑婆の世界の中にも、無限に広がる仏の世界を見いだしたのでありましょう。

「観無量寿経」の中には

諸仏如来はこれ法界の身なり。一切衆生の心想の中に入りたもう。この故に汝等、心に仏を想う時、この心すなわちこれ三十二相八十随形好なり。

『仏説観無量寿経』

仏さまはこの世界の姿そのものであり、人々の心の中にも入っておられます。だから、心に仏さまを思うとき、その心はそのまま仏の心となるのであります。

私たちは、仏さまの世界で生かされていると同時に、心にも仏の心を宿すのであります。

また、総本山光明寺69世関本諦承上人は

極楽も諸仏の国も娑婆界も

同じ大悲に充されにけり

と詠んでおられます。

阿弥陀仏の極楽浄土も、諸仏の仏国土も、私たちがいる娑婆の世界も、すべて仏の大慈悲に充されて存在している世界です。

どこにいても、仏さまの力に気づくことができれば、そこは仏の世界のようにすばらしい世界へとかわるのであります。

きっと金子みすゞさんも、このような世界を見たのかもしれません。

お花の中を飛び回る蜂の中に、どんな世界が広がっているか、想像しながら、この詩を読んでいるのであります。

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