身軽な水黽(アメンボ)のように
川や水たまりなどで見かけるアメンボ。
アメンボといえば、水の上をスイスイと泳いで移動するのが特徴です。
子どもの頃はこれが不思議で不思議で仕方ありませんでした。
「アメンボのように水の上を泳ぐことができれば・・・」
そんなことを思いながら、水たまりのアメンボを見ていたことを思い出します。
アメンボが水に浮く理由は、その身体の軽さと足に仕組みがあるようです。
アメンボの身体はとても軽く、その重さは10匹合わせても一円玉一枚にも満たないといわれています。
またアメンボの足にはたくさんの細かい毛と油分があり、これによって水をはじいて沈むことがなく浮くことができるようです。
私たちは、現実的に水の上を泳ぐことができないどころか、苦しみの海に沈んでいるとされています。
いまだ救われることなく、死んでは生まれ、生まれては死んでいく輪廻の苦しみを海に例え、その海から抜け出すことができず、溺れて苦しんでいるのが私たちです。
このような私たちを善導大師は「曠劫よりこのかた苦海に沈みて、西方の要法いまだかつて聞かず」と表現しています。
私たちの苦しみの原因として、忙しすぎることがあげられるように思います。
科学の発達によってものごとが便利になり、何をするにも時間が短縮され短い時間で早くできるようになりました。
もちろんこれはとても素晴らしいことですが、その反面「まだまだできる!」と詰め込みすぎてはいないでしょうか?
仕事でも勉強でも効率を求められ、一分一秒を無駄にしないことを求められ、空いた時間にはできることを探して一つでも多くのタスクをこなし、一つでも多くのものを生産することが求められています。
しかしそれが、生きるための重荷になっているように思うのです。
「まだまだできる!」という発想が、「もっとやらなければ」というプレッシャーに変わり、自分で自分を追い詰めていないでしょうか。
お釈迦様は、身分を捨て、家族を捨て、財産を捨て、それまでに持っていたすべての物を捨てて、出家をしました。出家をすることで、お釈迦様は自由になり、真の幸福を得ることができたのです。
現代の私たちがお釈迦様のように何もかも捨てて出家して修行をするということは、とてもできるようなことではありませんが、それでも今の現状を変えることはできるはずです。
それは、今自分が抱えている問題を一度見つめ直し、本当に必要な物だけを選び取り、余計な物は捨ててしまうのです。
自分自身に本当に必要な物だけを選び取り、アメンボのように身軽になることができれば、きっと今の苦しみから解放されるでしょう。