法事の心得

法事は心の洗濯の場

ご法事は御年期法要ともいいますが、これを営むに当たっては、あくまでの亡き人の生前中の徳行や善行をたたえ、お慕いするものでなければいけません。それを「追善」と申します。

それと同時に亡き人への恩返しを誓い、ご先祖を供養し、あわせて自己の心を清めるために営むわけです。清めるとは、日ごろ知らぬままに汚れてしまっている心を反省することによって、心を掃除洗濯することであります。

それを「洗心」と申しますが、その清浄になった心を普段の日ごろの一挙手一投足の中に生かすべく、その努力をご先祖に対してお誓いするものでなければいけません。それがまた、ご先祖をお慰めする最高のご供養であり、生かされているものの勤めでもあります。

皆様方が勤められるお年忌も、お寺で勤める施餓鬼会や他の行事も、すべてこれらはご法事またはご法要といいますが、それらに共通して大事なことは合掌して礼拝するだけでなく、ただ今申し上げた「洗心」がその中心でなければなりませんし、それがまた、そのまま「恩返し」となります。つまりご法事、ご法要は「心の洗濯の場」であるといってもいいでしょう。

このような事柄が、ご法事を営むに当たっての肝心な心がまえでありまして、それを忘れては単なる形式で終わってしまいますし、偶像崇拝でしかないでしょう。

ご法事に限らず、何事をなすに当たっても一番肝心なことは「心を込める」ことであり、心のあり様、かまえ方であることはどなたでもご存知の通りであります。

今いただいている命は両親やご先祖からの賜物であり、今生かされている命は水や空気等の大自然の恵みのおかげであり、また、お世話になっている人々や、生活に必要なたくさんのもののおかげであります。しかし、それを「あたりまえ」と思う心が、人生が思いのままにならないと悩む根源であります。

おかげさまの心を感謝の心「南無阿弥陀仏」(ありがとうございます)に表し「精進努力していきます」と仏前にお誓いするようにしたならば、ご法事の意義はより一層素晴らしいものになるはずです。

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