三年坂は残念な坂
和歌山には、紀州徳川家の居城であった和歌山城がそびえ立っています。
その近くには、三年坂と呼ばれる坂があります。
この坂には、こんな不思議なお話が残されています。
三年坂には昔から、「転ぶと三年で死ぬ」という言い伝えがありました。
三年坂の名前の由来は、「転ぶと三年で死ぬ」というところからきているというのです。
江戸時代のことです。城下町に、とあるおじいさんとおばあさんが住んでいました。
ある日、三年坂の向こうの町に用事ができたので、行くことになりました。
ところが、三年坂で転ぶと三年で死んでしまうという言い伝えから、おじいさんは坂を通るのが不安で仕方ありませんでした。
気をつけて、ゆっくりと、用心に用心を重ねて歩いて行きます。
ところが、用心していたにもかかわらず、石につまずいて転んでしまいました。
それからというもの、「わしはあと三年しか生きられないんじゃ」と、迫り来る死の恐怖におびえて、家に籠もりっきりになります。
ご飯もろくに食べることができず、日に日に弱っていきます。
おばあさんがなにを言っても聞こうともしません。
どうすればいいかと困っていたところ、このおじいさんの話を聞いたという一人の若者がやってきました。
そして若者は、おじいさんにこのように話をしました。
「一回転ぶと3年生きることができる。それならば、二回転ぶと6年、十回転ぶと30年生きられるのですよ」
若者は、一回転ぶと、「あと三年で死ぬ」のではなく「あと三年も生きられる」と考えたのです。
これを聞いたおじいさんは、なるほどと納得をして、喜んで三年坂へ向かうと、何度も何度も転びました。
それどころか、坂を通るたびにわざと転ぶようになり、その甲斐あってか、いつまでも元気で長生きをしたというのでありました。
なんともおもしろおかしい、おじいさんのお話であります。
そして「転ぶと三年で死ぬ」といわれ、縁起の悪いとされていた坂ですが、この出来事がきっかけで「転ぶと三年長生きする」といって、今では縁起のいい坂といわれています。
また、この三年坂の名前の由来は他にも見ることができました。
2019年のニュース和歌山に、三年坂の由来についてこのような記事が見られました。
1796年に書かれた『紀街の詠(ながめ)』の中で、昔、折助という女癖の悪い男がおり、夜ごと、あの坂で女の人に声をかけていました。あるとき折助に急用ができ、急いだところ、提灯の火が消え、暗闇の中で転んでしまいました。「作者はその様子を『坂てころんて(坂で転んで)これはさんねん(残念)』と表している」と説明します。
ニュース和歌山
当時その坂は今よりも急で、夜は明かりなどもなく、危ない道であったので、それを人々に伝えるために大げさに「その坂で転ぶと死んでしまう」といったのではないかとのことです。
そして、昔は濁点を付けずに文字を書いていたこともあり、「残念」は「さんねん」と書かれていました。
それがそのまま「三年」とよばれ、「あの坂で転ぶと三年で死ぬ」と変化したのではないかとのことです。
これもまた、面白い話であります。
「三年坂」は「残念坂」であったのです。
どちらにしても、ものごとの受け取り方次第で、同じものでもよくも悪くもなるのは、不思議なものです。
昔から「病は気から」といいます。すべての病気がそうだとはいいませんが、気持ちの持ちようで病気にも、元気にもなるのは、人間の不思議なところであります。
「あと三年しか」と考えるのか、「あと三年も」と考えるのか、それだけでも大きなちがいがあるものです。
瀬戸内寂聴さんは
私は、昔の結核のようにガンが怖い病気でないと思える日が来ると信じています。病は気からです。心が病むと体が病みます。治ると信じて治療に専念してください。
瀬戸内寂聴「今日を生きるための言葉」
と言っておられます。
気持ちが体にあたえる影響を、身を以て気づいておられたのではないでしょうか。
「大乗十来」という、この世のものごとはどこから生じるかということを説いた十の事柄があります。
作者は不明でありますが、大乗仏教を信仰する上で大切な心構えを、持戒の念をこめて書かれたものではないかとされています。
そのなかの一つに「病身は不浄より来る」というものがあります。
煩悩の趣くまま、悪に走り、自己中心的な行いをすることで、その身が病におかされるのです。
逆にいえば、健全な心で健全な行動をしていれば、健全な身を養うことができるということであります。
心と体が、密接な関わり合いを持っていることを、改めて感じるのであります。