仏像を守ることは仏を守ること
先日、県立博物館の企画展を拝観してきました。
テーマは「仏像は地域とともにーみんなで守る文化財ー」であります。
自然環境の多い和歌山県には、高野山や熊野三山などの霊場をはじめ、住民が幾世代にわたって祈りをささげてきたお寺や神社が各所にあり、受け継がれてきています。
そして、そこには数多くの仏像が受け継がれてきております。
それはたとえ痛んだり壊れたりしても修理を重ね、数百年、数千年の時を超えて継承されてきました。
仏像は、そうした人々の祈りの蓄積と地域が経てきた歴史を物語ってくれる大切な文化財でもあるといえるのであります。
そうした仏像をどのように守り伝えていくのかを考る、そういう企画のもとに行われた展示であります。
信仰の対象である仏像は、地域の人々によって大切に守られてきました。
たとえば、江戸時代までは神さまも仏さまも一心同体のものとして密接に結びついて信仰されていましたが、明治時代におこなわれた神仏分離によって強制的に引き離されることになりました。
神社にまつってあった仏像を撤去しなくてはいけなくなったのです。
しかし、あるところでは神社の社殿の床下に隠して守り伝えられました。
また廃寺になったお寺にまつってあった仏像が、同じ集落にある別のお寺に移され、守られ続けました。
お寺が移動したり、廃寺になったりしても、仏像だけは信仰の対象として地域の人々に守られ続けたのであります。
さらに、壊れた仏像も処分されることなく残されていることがあるようです。
安珍清姫伝説で有名な道成寺では、壊れた仏像の部品を、別の仏像の体内に納めて大切に保管していました。
壊れてもなお、捨てられることなく、大切に守り伝えられていたのであります。
ところが、こうした仏像が盗まれるという事件が多く発生しています。
そこには、住民の高齢化や地域の過疎化によって、防犯対策をとるのが難しくなってきているという背景があるといわれています。
盗難被害にあって取り戻せた仏像もありますが、そのほとんどは今も行方が分からないといいます。
このように、人々の信仰の対象である仏像がどのように伝えられ、あるいはどのように伝えていかなければいけないか、そういうことを改めて考えさせられる展示でありました。
中でも私が一番気になったのは、紀の川市にある横谷区茶所の仏頭であります。
これは、三枚の蓮の花びらを組み合わせた台座の上に、仏さまの頭だけが乗っているものです。
首の部分には焦げた痕跡が残っているので、火災にあって体の部分を失い、頭部だけが残されたものだと考えられているようです。
そんな状態になっても、仏像は大切に守られて伝えられているのです。
見た目だけでいえば、異様な形であります。
三枚の蓮の花びらと、仏さまの頭だけが組み合わさった仏像など、見たこともありません。
しかし、他の仏像ではいけないのです。その仏像でなければならないのです。
そこには仏像を守り伝えてきた人々のあつい信仰の思いが、伝わってくるように思います。
思えば、京都の浄土宗の本山である知恩院にも、大きな仏頭が安置されていました。
これも、火事で焼けたあとに残された仏さまの頭だというのであります。
私は、なぜ頭だけ大事に残しておくのだろうと不思議に思っておりました。
きっとそこにも、その仏像を信仰する人の大切な気持ちが込められているのでありましょう。
西山上人は、「真仮一同」として、真実の仏さまと仮の仏さまは同じであると説かれました。
真実の仏さまとは、六十万億の大きさをほこる阿弥陀仏の真実の姿のことです。
仮の仏さまは、この世で目に見える形で顕した仏さまのことで、仏像がそれにあたります。
それまでは、仮の姿である仏像を通して真実の仏さまを拝むという考え方が一般的でありました。
しかし西山上人は、この2つは同じであると説いたのです。
これについて、総本山光明寺第87世法主の中西随功上人は
「仏像等は決して単なる偶像ではなく、阿弥陀仏の衆生救済の願力がこもっていると考える。まさに造形そのままが衆生を救うはたらきをする真仏との理解になる」
と説明しています。
仏像を通して真の仏を拝むのではなく、仏像そのものが真の仏さまそのものであり、仏像にはそのまま人々を救う力がこもっているというのであります。
地域の仏像を守り伝えてきた人たちも、きっと同じような気持ちだったのではないでしょうか。
仏像そのものに、救いの力があると信じていた。だから場所が変わっても、政治的な政策でまつることができなくなっても、壊れても、守らなければいけないと考えていたのだと思います。
当寺にも、本堂をはじめ多くの仏像がおまつりされています。
それらは、他でもないその仏像でなければいけないのであります。
改めて、その大切さを学んだのでありました。