あじさいの花言葉「無常」が教える人生の真理

あじさいの花言葉「無常」が教える人生の真理

日本で古くから愛され続ける「あじさい」。 青、赤、白と、様々に色を変えながら、梅雨の季節を鮮やかに彩ります。

このあじさいには、少し意外な花言葉がつけられているのをご存知でしょうか?

それは、**「移り気」「浮気」「無常」**です。

なぜ、このような花言葉がついたのか。その秘密は、あじさいの持つ不思議な性質にあります。

あじさいは、土の酸性度によって花の色を変えると言われています。土壌が酸性なら青く、アルカリ性なら赤く咲くのです。

このように、決められた色ではなく、土の具合で色を変える姿から、これらの花言葉が生まれたのです。

このあじさいの姿は、まるで私たち人間のようです。

私たちは、生まれ育った環境や、出会う人との人間関係によって、その性格や人格が形作られていきます。

良い環境に恵まれ、良い人と出会い、良い影響を受けて育った人は、より良い人間になります。反対に、環境に恵まれず、悪い影響を受ければ、それによって人格が変わってしまうこともあります。

土壌の成分によって花の色を変えるあじさいのように、私たちは「周りの環境に影響されながら、今の『私』という花を咲かせている」と言えるでしょう。

さらに、あじさいの花言葉である「移り気」「浮気」は、「一つのことに集中できず、気が変わりやすい」私たちの心の様をよく表しています。

たとえ大切な人がいても、心は常に揺れ動くものです。美しい人や魅力的な人を目にすれば、ほんの一瞬でも心がそちらに惹かれてしまわないでしょうか。

どんなに愛する人であっても、四六時中、その人だけを強く想い続けることは難しいものです。何かのきっかけさえあれば、すぐに心が他の場所へ移ってしまう。これこそが、人間の持つ本性なのかもしれません。

このような、絶えず移り変わる私たちの世界を、お釈迦様は「無常」という言葉で表現されました。

すべての物事は、一瞬たりとも同じ状態に留まることはなく、常に移ろい変わっています。これは、私たちの身の回りにある物質だけでなく、人の心にも当てはまります。

「いい人」も「悪い人」もいますが、「いい人」がいつまでも「いい人」でいる保証はありません。反対に「悪い人」も、きっかけさえあれば、いつか「いい人」に変わる可能性を秘めています。

それにもかかわらず、私たちは勝手な思い込みで、周りの人や物事を固定して見てしまいがちです。「この人はいつもこうだ」「この状況は変わらない」と決めつけてしまうのです。

赤いあじさいは常に赤、青いあじさいは常に青だと信じ込んでしまうように、世の中の物事も、人の心も、きっかけ一つで良くも悪くも変わるという「無常」の真理を、私たちは深く知る必要があります。

常に移ろい変わっていくからこそ、私たちはそこに一瞬の輝き、一期一会の美しさを感じ、大切にできるのかもしれません。

供養なら、和歌山かんどり本山総持寺へ

亡くなられた大切な人もまた、「諸行無常」の中にありました。生を受け、懸命に生き、そして移り変わりの法則に従って、この世を旅立っていかれました。私たちは、その方の存在が「無常」であったがゆえに、いつか来る別れに苦しみます。

だからこそ、仏教では「供養(くよう)」という行為を大切にしいるのです。

「供養」とは、このいただいた命への感謝であり、ご先祖様や故人様への報恩の心を形にする行いです。

和歌山市に位置するかんどり本山総持寺は、「いつでもお参りができるお寺」として、心の通う供養を大切にしています。仏さまやご先祖さま、故人を偲ぶ場所は、いつでも気軽に訪れられる場所であってほしい。そんな願いを形にしたのが当山です。

特に近年ニーズが高まるお納骨永代供養についても、安心して任せていただけます。永代にわたる供養と管理を通じて、ご遺族様の負担を軽減し、「近いからいつでも会いに行ける」という安心感を提供します。

ご供養は、命をいただいて今を生きていることに感謝をし、自分自身の心も清める大切な行いです。しあわせな未来を生きていくために、ご供養は、歴史と安らぎに満ちたかんどり本山総持寺へ、ぜひご相談ください。