法話

誰が電気をつけたのか?

誰が電気をつけたのか?「自分が」という感覚。人は予測した結果と実際の結果が近いほど「自分がやった」と感じてしまいます。仏教では「自分が」という思いは捨てることを勧めています。目に見えない部分にある力のおかげであるということを忘れないことが大切です。
法話

あまりにも急いで恩返しをしたがるのは一種の恩知らずである

「あまりにも急いで恩返しをしたがるのは一種の恩知らずである」ラ・ロシュフコーのことば。贈り物は人と人をつなぐ大切なツールです。もらったときには急がずに、じっくり相手のことを考えてお返しすることが大切なのではないでしょうか。
法話

稲盛和夫さんの体験から「利他」を学ぶ

稲盛和夫さんの体験から「利他」を学ぶ。稲森さんは65歳の時にお寺で修行をしていたときのこと。托鉢行の帰りに公園で掃除をする女性と出会いました。いかにも当然のように喜捨をしてくださる姿をみて、本当の利他行とはこの姿だと体感したのです。
法話

「冷暖自知」自分で実践して体感することの大切さ

「冷暖自知」という言葉があります。「人の水を飲みて、冷暖自ら知るが如し」と禅師の章にある禅語で、人は水を飲んでその水が冷たいのか温かいのかを知るように、悟りも実践によって気づいていくのです。学ぶだけでなく、実践していく所に本当の仏教があらわれるのです。
法話

山村暮鳥の詩「雲」に、かざらない生き方を学ぶ

山村暮鳥の詩「雲」に、かざらない生き方を学ぶ。「雲」という詩はとても味わい深いものがあります。山村暮鳥は「詩が書けなくなればなるほど、いよいよ、詩人は詩人になる」といいました。自分を省みてかざらない生き方こそ、本当にいい生き方なのかもしれません。
法話

獅子身中の虫みずから獅子の肉を食らうが如し

「獅子身中の虫みずから獅子の肉を食らうが如し」獅子のような偉大な存在でも体の中の小さな虫によってその身を滅ぼされる。そのように、人間は煩悩によって自分自身を苦しめているのです。整えるべきは自分の心であります。
法話

美しいものを見るためには目が美しくなければならない

「美しいものを見るためには目が美しくなければならない」フランスの哲学者ガストン・バシュラールのことばです。世界がどう見えるかは、世界をどのように見るかと一つです。清らかな心で世界を見れば、清らかな世界がおのずと広がっていくのです。
法話

「人」にはなるな「人間」になれ

「人」にはなるな「人間」になれ。人は人として生まれ、人と人との間に挟まれて、いいも悪いも経験して「人間」に成長していきます。人間になりきれなかった人のことを「間抜け」というのです。間抜けにならないように、気をつけていくようにしましょう。
法話

「啐啄同時」絶好のタイミング

「啐啄同時」とは、ひな鳥が卵の殻をつついて出てくるのと、親鳥がそれを外から手助けするのが同時であり、転じて絶好のタイミングを意味する言葉です。自然の流れに従ってものごとを見ていると、その時その時がすべて絶好のタイミングとなるのです。
お寺の掲示板

お寺の掲示板『迷うことなくうたがうことなくただひたすら念仏すべし』

お寺の掲示板『迷うことなくうたがうことなくただひたすら念仏すべし』法然上人の一枚起請文には「ただ一向に念仏すべし」とあります。念仏とは、阿弥陀仏は私を救うと信じ信仰する心そのものです。自分の力ではどうにもならないことは任せてしまうところに、安らかな心があらわれてくるのです。
法話

何事も習慣から始まる

何事も習慣から始まります。仏教では戒定慧の三学を修することが求められますが、そのうち戒とは習慣のことです。考えることなく当たり前のように行動できることによって、定慧を身につけ、悟りに至ることができるのです。
法話

徳のある人とは

徳のある人とは あちこちで、梅の花が咲いているのを見かけます。 白く美しいものや、ピンクであざやかなもの。 長かった冬が終わり、春の訪れを感じさせてくれます。 ...