最期の一瞬まで心安らかに・・・

法然上人の説いたお念仏の教えは、ひとえに中国の善導大師の教えにもとづくものだと伝えられています。

善導大師は唐の時代に活躍された僧侶です。幼いころに出家をして、西方極楽浄土の様子を描いた図を見て感動し、阿弥陀仏を深く信仰して極楽往生を願い、人々を念仏往生のために教化に勤められました。そして、五部九巻の書物を後世に残されました。

善導大師が残された書物の中に、こんな言葉があります。

命終の時に臨んで、心顛倒せず、心錯乱せず、心失念せず、身心に諸々の苦痛なく、身心快楽にして、禅定に入るがごとく

(命が終わる時には、どうか心がうろたえませんように、どうか心が乱れませんように、どうか心がおぼろげになりませんように。そして、どうか身心ともに何の苦痛もなく、喜びに満ち、あたかも禅定に入ったようにおだやかでありますように)

これは「発願文」という法語の一節です。阿弥陀仏のおられる極楽浄土に生まれたいと願う心を起こすためのものです。

死にたくないのに、いつかは必ず死んでいかなければいけないところに、人間の最大の苦しみがあります。私自身、職業柄いろいろな方のお葬式を勤めさせていただく機会がありますが、そのたびに、いつかは自分も死ぬ身でありながらも「死にたくないなあ」と感じてしまいます。数十年後かもしれないし、明日かも知れない、その時のことを考えると、不安になることがあります。

だから「臨終のときは心穏やかでありますように」と願うのです。すると、この不安な私の心が阿弥陀仏に届きます。私の心を受け取った阿弥陀仏は、必ず極楽浄土へと救い取ってくださります。その真実を知ることで、「ああよかった」と安心して日常生活を送ることができるのです。

このような善導大師の教えが時を超えて法然上人に伝えられ、そして私たちに受け継がれています。不安な毎日だからこそ、より一層お念仏に励んでいきたいものです。