法事やお葬式の時、必ず唱えられるのが「十念」です。
場合によっては、住職が「同称十念」と声をかけ、参拝されている皆さんと一緒に、十念をお唱えすることもあります。
ここでは、十念の唱え方について、わかりやすく紹介します。
十念の唱え方
法事やお葬式の時、必ず「十念」を唱えます。
これは、「南無阿弥陀仏」と十回唱えることをいいます。
法要の中で特に重要なものである上に、場合によっては住職の声かけのもと、参拝をされている皆さんと一緒にお唱えすることもあります。
どのように唱えるのか、もう一度ここで確認しておきましょう。
十念を唱えるときのポイント
- なむあみだぶ
- なむあみだぶ
- なむあみだぶ
- なむあみだぶ
- なむあみだぶ
- なむあみだぶ
- なむあみだぶ
- なむあみだぶ
- なむあみだぶつ
- なーむあみだぶー
ポイントは3つです。
- 8回目まで一息で唱えて、そこで息継ぎをする
- 9回目には「つ」をつける
- 10回目は伸ばしてゆっくり唱える
これさえおさえておけば、まわりとずれることなく、一緒に声を合わせて唱えることができます。
また、息継ぎに関しては、基本的には8回目まで一息で唱えるとされていますが、息苦しければ4回目で一度区切って息継ぎしてもいいでしょう。
なぜ9回目だけ「つ」をつけるのか?
十念を唱えるときに、9回目に「つ」をつけるのでしょうか?
実はこのことに関して、明確な答えがありません。強いて言うなら、「昔からこの唱え方である」としか言いようがないのが現状です。
そんななか、いろいろな人から聞いた話の中で、私が一番腑に落ちた理由を紹介します。
「十念」はお経である
そもそも「南無阿弥陀仏」を10回となえる「十念」は、無量寿経というお経がもとになっています。
阿弥陀仏が仏となられる前のこと。その修行中に48の誓いを立てて、「私が仏になったら、これこれこういうことをいたします」と約束をされました。
その中の一つに
たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲し、乃至十念せん。 もし生ぜずは、正覚を取らじ。
出典 無量寿経
というものがあります。
「もし私が仏となったら、すべての人々が心から十念をすれば、必ず極楽浄土に救いとりましょう」という内容です。
この誓いによって、私たちは念仏によって極楽浄土に生まれることができるのです。
そして、この誓いにある「十念」という言葉に基づいて、10回の念仏を唱えることを「十念」とし、いろいろな法要の中でも重要視しています。
この、法要で唱えている「南無阿弥陀仏」を10回唱える「十念」は、法要をする上で、あるいは日常的に唱えやすくするために考え出された唱え方です。
例えば、たくさんあるお経でも、法要の時には歌を歌うように節や抑揚をつけて唱えることがあります。なぜこのような唱え方をするかというと、節をつけて唱えることによって聞く人心を引きつけ、信心信仰を増長させるためにしているのです。
十念も同じで、ただ平坦に南無阿弥陀仏と10回言うのではなく、唱え方を決めて抑揚をつけることによって、みんなで信心信仰を増長させるために考えられたものです。
いつから十念がこのような唱え方をするようになったかはわかりませんが、それは、お経の節がいつどのように作られたのか、はっきりわからないことが多いことと同じです。
つまり言い方を変えてしまえば、「十念すれば救われる」という教えに基づいて、「南無阿弥陀仏」を10回唱える「十念」というお経を唱えている、と考えるのです。
このように考えると、「昔からこの唱え方である」という理由も、納得できるのではないでしょうか。
最後に
形式的に、「十念」の唱え方は決まっています。
なぜ決まっているかというと、みんなで統一させることによって、信心信仰を増長させるという理由があります。
しかし、現代では形式にとらわれてお参りしにくくなってきているという現状もあるように思います。
大事なのは、南無阿弥陀仏とお念仏をする事です。口に出さなくても、心に思うだけでも十分です。
気にしすぎることなく、気楽にお参りしましょう。