正直な心
「諸行無常」という言葉があるように、世の中のすべてのものは移ろい変わっていくものです。何一つとして、同じものはありません。
すべてのものは、いつか必ず朽ち果てて、滅んでいってしまいます。
それは、私たちの肉体も同じです。
刻一刻と変化し、年を取り続け、止まることなく死へと向かい続けています。
今は何事もなく動いている私の体ですが、今日寝て明日起きる保証はありません。
そのことを思うと、不安で、怖くて、夜も眠れなくなる時があります。
安らぎの心で毎日を過ごすことはできないのでしょうか。
善導大師の『観経疏』という書物の中に、次のような言葉があります。
もし衆生あって、かの国に生ぜんと願ぜば、三種の心を発すべし。すなわち往生す。何等をか三とす。一つには至誠心、二つには深心、三つには回向発願心なり
この中にある至誠心とは、言い換えて「正直な心」であると説明されています。
私たちは、ついつい自分をよく見せようと取り繕った行動をとってしまいます。
自分が犯した罪を認めようとせず、何をするのも自分の力でやり遂げていると考えてしまっています。
貪りや怒りの心を起こし、それをひた隠しにしながらニコニコ笑顔で他人を傷つけているのが人間です。
「イヤイヤ、そんなことはない!」
「自分は他人に迷惑をかけていない!」
なんてことを思わず、正直になることが大切です。
自分の心を見つめなおし、現実に自分がどのような行動をしているのか思い返してみましょう。
そして、そんな罪深い私でも、阿弥陀仏は極楽浄土へと救いとってくださります。
法然上人は
生けらば念仏の功つもり、死なば浄土へ参りなん。とてもかくてもこの身には、思い煩うことぞなき
と、言葉を残しています。
生きている間にはお念仏に励み、死ぬときには阿弥陀仏のお迎えにあずかって極楽浄土へと生まれさせていただく。
これほどわかりやすく安心した生き方はないのではないでしょうか。