「ひまわり娘」の歌詞に学ぶ阿弥陀仏の願い不安を安心に変える心のよりどころ

誰のために咲いたの

お盆も終わり、暑かった夏もようやく終わりを迎える季節になりました。

近くの庭に咲いているひまわりの花を見ながら、ふと頭の中に伊藤咲子さんの「ひまわり娘」が頭に流れてきました。

「ひまわり娘」は昭和49年に発売された、伊藤咲子さんのデビューシングルです。オーディション番組「スター誕生!」での優勝を経てリリースされました。作詞はその時の審査員を務めた阿久悠さんです。

当時16歳の彼女の明るい満面の笑顔は、まさに太陽に向かって真っすぐ花咲くひまわりを象徴しているかのようでした。

歌:伊藤咲子
作詞:阿久悠
作曲:LAVY SHUKI


誰のために 咲いたの
それはあなたのためよ
白い夏の陽射しをあびて
こんなに開いたの
恋の夢を求めて
まわる ひまわりの花
そしていつも見つめてくれる
あなた 太陽みたい

涙なんかいらない
いつでも微笑みを
そんな君が好きだと
あなたは ささやく

もしもいつかあなたが
顔を見せなくなれば
きっと枯れてしまうのでしょう
そんなひまわりの花

誰のために 咲いたの
それはあなたのためよ
あなただけの花になりたい
それが私の願い
あなただけの花になりたい
それが私の願い

ひまわりの花を眺めながら、「ひまわり娘」を口ずさんでいると、ふと阿弥陀仏のことが頭に思い浮かびました。阿弥陀仏は、浄土宗のご本尊であり、信仰の対象です。

阿弥陀仏は、法蔵菩薩という修行の身であった時、生きとし生けるものすべて平等に救うと誓われました。そして「念仏をする人はみんな救います」と誓いを立てて、菩薩から仏になったのです。つまり、この私を苦しみから救うために仏となったのです。

ふと「ひまわり娘」の歌詞と同じ思いを感じます。

阿弥陀仏は誰のために仏となったのでしょう?それはあなた(私)のためなのです。

阿弥陀仏の願いって何でしょう?

それは、今を生きる私たちが、命終わるまで元気に生き抜くことだと思うのです。ちょっとでも悔いのないように、少しでも幸せな人生を送れるように、そのために力を与えてくれているのが、阿弥陀仏です。

日常生活において、不安なことや苦しいことがあるのは当然です。しかし、そんな時のために心のよりどころを持っておくことが大事です。

京都の総本山光明寺の第69世である関本諦承上人は、このような言葉を残しておられます。

みなさん信仰 持ちなされ
信仰なしに 生きられぬ

信仰を持つということは、この「心のよりどころ」を持つということです。

「阿弥陀様がいつもそばにいてくれる」「阿弥陀様がいるから、何があっても大丈夫だ」と心に軸を持つことで、安心感や心の余裕が生まれます。この安心感こそが、予期せぬ出来事が起こった時にそれを乗り越える力に変わるのです。

16歳の少女が歌う夏の恋の歌。まっすぐと太陽に向かって伸びるひまわりのように、一途にあなただけを想う強い気持ちが伝わってきます。

阿弥陀仏も、ただ私のために一生懸命に力を働かせてくれています。その気持ちに気づくだけで、不安な心から安心へと変わることができるでしょう。

この気持ちを心のよりどころにし、不安なこともつらいことも乗り越えて行っていただきたいと思います。

供養なら、和歌山かんどり本山総持寺へ

仏さまやご先祖さまからいただいた安らかな心は、私たちに「今、ここに生かされている」という事実を深く感謝する心をもたらしてくれます。

この感謝の気持を行動に表したのが、「供養」です。

「供養」とは、このいただいた命への感謝であり、ご先祖様や故人様への報恩の心を形にする行いです。

和歌山市に位置するかんどり本山総持寺は、「いつでもお参りができるお寺」として、心の通う供養を大切にしています。仏さまやご先祖さま、故人を偲ぶ場所は、いつでも気軽に訪れられる場所であってほしい。そんな願いを形にしたのが当山です。

特に近年ニーズが高まるお納骨永代供養についても、安心して任せていただけます。永代にわたる供養と管理を通じて、ご遺族様の負担を軽減し、「近いからいつでも会いに行ける」という安心感を提供します。

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