他人の不幸は蜜の味

他人の不幸は蜜の味
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他人の不幸は蜜の味

他者を幸福へと導くために持つべき心として、「四無量心」というものがあります。

それは、慈・悲・喜・捨の四つの心であります。

「慈無量心」はいつくしみの心であり、相手に楽を与えること。

「悲無量心」は哀れみの心で、相手の苦しみを取り除いてあげること。

「喜無量心」は相手の喜びを自分の喜びとしてとらえて、一緒に喜ぶこと。

「捨無量心」は自分の好き嫌いを捨てて、誰にでも平等に接すること。

日常生活の中で他者と関わりを持つときには、この四つの心で接していくことが求められています。

しかし、なかなか思うようにはいきません。

先日友人が、臨時収入が入ったので旅行に行ってきたそうです。

しばらく休みらしい休みがなかったので、一週間ほどゆっくりと羽を伸ばしてきたと言いました。

私はそれを聞いて、恥ずかしながら妬ましい気持ちが生まれました。

とりわけて臨時収入もなく、仕事がら連休も取りづらい私には、彼がうらやましかったのです。

相手の喜びを自分のことのように喜ぶことは、なかなか強い精神力がいるものであります。

「他人の不幸は蜜の味」

「隣の貧乏鴨の味」

「人の過ち我が幸せ」

などなど、他人の不幸を喜ぶ言葉が多くあります。

反対に

「他人の幸福は飯がまずい」

という言葉もあるようです。

このような、他人の不幸を喜ぶような人間にはなりたくないものであります。

ところが、人間の脳は他人の不幸を喜ぶようにできていることが、科学的に証明されているそうです。

ある研究によると、「妬み」と同じ感情が沸き起こったとき、脳では身体の痛みの処理に関係している部分が活動していたということがわかりました。

つまり、「妬みとは心が痛いことである」ということができるというのです。

これによって「他人の幸福は飯がまずい」ということがわかるのであります。

また、他者の不幸を見たときには、脳では、おいしい物を食べたり何かを得たときなど、欲求が満たされたときに幸福を感じる部分が活発に活動していたというのです。

妬ましい相手が不幸になったとき、欲求が満たされたときと同じような喜びが、自然とわき上がってくるのです。

「他人の不幸が蜜の味」だと思うのは、ごく当たり前で自然な現象であるということができるのであります。

止めることのできない感情でもあるということです。

また、このような妬みは、自分と境遇が近い相手ほど、その感情が強くなり、妬みあいやすくなるといわれています。

趣味や人生目標、価値観、あるいは年齢だったり収入だったり、共通点が多いほど妬みやすく、反対に共通点が少なく自分と全く異なる境遇の相手には、妬む理由がないので無関心になるそうです。

妬みの感情がおこったとき、それをあえて認識して受け入れることが大切です。

別の研究では、自尊感情が低いときに他者に不幸が起こると、それを喜びやすくなる傾向があると言うこともわかっています。

相手の不幸を喜び、「しまった、妬んでしまった」と自分を責めてしまうと、自尊感情が低くなり、そこから更に相手を妬ましく思う感情が生み出されやすくなるといいます。

妬みの感情が起こっても、それをそのまま受け入れてきちんと認識して、コントロールしていくことが大切なのであります。

とても面白い研究であります。

妬みという感情は、煩悩の一つであります。

この煩悩は必然的に起こる現象であることが、科学的に証明されたのです。

逆にいえば、煩悩を私の中から打ち消すことができないということも、証明されたということであります。

善導大師は

「自身はこれ罪悪生死の凡夫にして、曠劫よりこのかた、常に没し常に流転して出離の縁あることなし」

ということを、深く信じなさいといいました。

自分自身では何もできず、罪を作り続け、過去の報いによって今苦しみ、今の行いによって未来でも苦しむ。

そのような救われがたい人間であるという自覚をもちなさいというのです。

私たちは自分の力で何もできません。

それなのに、どこか自分の力でできる気になっているのです。

自分では何もできず、常に迷惑をかけながら生きているという自覚が、かえって自分の行動をただして、人としてよい人格を形成していくことになるのであります。

他者を幸福へ導く前に、自分自身をしっかりと見つめることが大切なのであります。

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