「いい人」と「いけない人」

いい人といけない人

「いい人」と「いけない人」

人は大きく分けて、「いい人」と「いけない人」に分けられるといいます。

私たちは、周りの人たちから「いい人」か「いけない人」か、どちらかに思われているというのです。

これは、永観堂禅林寺の中西玄禮上人から聞いたお話でありますが、とても面白いお話でありました。

さて、「いい人」と「いけない人」は、どのような人のことをいうのでしょうか。

「いい人」について、これをさらに三つにわけることができます。

ひとつは「いたほうが、いい人」

いてくれると、食事の準備をしてくれるし、炊事洗濯もしてくれる。あるいは、自分の代わりに仕事ができて、よく働いてくれる。

しかし、ひと言文句が多いとか、気が短いとか、ちょっと煩わしい一面もある。

こういう人が「いたほうが、いい人」です。

ふたつめが、「いてもいなくても、いい人」

いてくれたほうがいいとも思わないし、いても特別に役に立ってるとかいうわけでもない。また反対に、いなくても寂しいとも悲しいとも思わない。

そういう人のことです。

みっつめが「いないほうが、いい人」

顔も見たくない、二度と会いたくない、そんな人です。

では「いけない人」とはどんな人でしょうか。

それは「いなければいけない人」です。

自分が生きていく上で、いなければいけない人、いてくれなければ困る人のことです。

同じ人生を過ごすのであれば、「いなければいけない人」と思われる人生を送りたいものであります。

それでは、「いなければいけない人」と思われる人生を送るためには、なにが必要なのかと考えてみます。

中西上人は、そのような人たちには共通して、惜しみなくあたえるという気持ちを持っていると言います。

畑でとれたものを惜しみなくあげることができる。

人と出会ったときには、誰であっても分け隔てすることなく接する事ができる。

困った人の為には時間を作って助けてあげる。

自分の持っているものを惜しむことなく、相手のために差し出して上げることができる人が「いなければいけない人」といわれるのです。

このように、惜しむことなくあたえることを「布施」といいます。

昔から、善いことをすれば楽を得ることができる、悪いことをすれば苦しみが降りかかってくる、といわれています。

布施をすることは善い行いであります。

これによって善い果報を得ることができるのです。

布施をする人は、その善行の果報として、周りの人たちから「いなければいけない人」といわれ、慕われているのではないかと思うのであります。

小説家で詩人でもある高見順さんの詩に、「おれの期待」というものがあります。

徹夜の仕事を終えて

外へおれが散歩に出ると

ほのぐらい街を

少年がひとり走っていた

ひとりで新聞を配達しているのだ

おれが少年だった頃から

新聞は少年が配達していた

昔のあの少年は今

なにを配達しているのだろう

ほのぐらいこの世間で

なにかをおれも配達しているつもりで

今日まで生きてきたのだが

人々の心に何かを配達するのが

おれの仕事なのだが

この少年のようにひたむきに

おれはなにを配達しているだろうか

お早う、けなげな少年よ

君は確実に配達できるのだ

少年の君は

それを知らないで配達している

知らないから配達できるのか

配達できるときに配達しておくがいい

楽じゃない配達をしている君に

そんなことを言うのは残酷か

おれがそれを自分に言っては

おれはもうなにも配達できないみたいだ

おれもおれなりに配達を続けたい

おれを待っていてくれる人々に

幸いその配達先は僅かだから

そうだ、おれはおれの心を配達しよう

高見順「おれの期待」

「布施」といわれると、お金やモノなど、なにか形になるものを相手にあたえることのように思いますが、そうではありません。

相手を思う心が形となって表れたものが、お布施です。

「おれはおれの心を配達しよう」というのも、仏教で考えれば立派な布施になるのであります。

檀家さんのあるお宅には、90歳を過ぎたおばあさんがいました。

数年前までは、健康のためにと毎日歩き、家の中では炊事洗濯と家事のすべてをひとりでこなしていました。

私よりも元気かというくらい、元気な方でありました。

ところがあるとき、家の中でつまづいて転んで骨折をし、入院をしてしまったのです。

それからというもの、数ヶ月の入院生活で一気に足腰が弱ってしまい、あれよあれよという間に、ほぼ寝たきりの状態になってしまいました。

病院から帰ってきても、トイレに行くときとお風呂に入るときと、リハビリの先生が来たときくらいしか体を動かすことがないというくらいです。

そうなるとまともに生活ができませんので、娘さんがほぼ一日中つきっきりで介護をすることになりました。

食事から洗濯から、何から何までお世話をされておりました。

あるとき、お参りでお宅へ伺ったときのことです。

その娘さんとお話をしていると、毎日忙しそうにされているようでしたので、「なにかと大変ですね」と言うと、このような返事が返ってきました。

「大変ですけど、これもいい経験です。

それに、私が嫁いだときにはいろいろ教えてもらって助けてもらったし。

できるだけ長生きしてもらいたいのです」

娘さんの言葉からは、心から母親を慕う気持ちが感じられました。

それはきっと、おばあさんのほうも、娘さんのことを大切に思って接してきた結果なのだと思います。

「いなければいけない人」と思われるような、そんな人間になりたいものであります。

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