仏壇じまい、墓じまいをする前に
数年前から「終活」ということばが取り沙汰され、今では終活ブームといわれるくらいに浸透しています。
終活とは「終焉活動」のことで、いつか迎える死にむけて、あらかじめ準備しておくことをいいます。
準備することは多岐にわたり、医療や介護の面をはじめ、財産や相続のこと、お葬式、お墓のことなど、考えだしたらキリがありません。
「もしも」のことはいつくるかわかりません。
あした死んでもおかしくないような命を生きているのが、私たちであります。
そのように「死」を見つめることは、逆に今を見つめなおすことにもなります。
後悔しない生き方をするためにも、終活をすることは大切なことでありましょう。
私も、お葬式や永代供養などのことについて、よく相談を受けます。
その多くが高齢の方で、このように話されます。
「私のお葬式は小さくていい。家族にだけ送ってもらえたらいい。」
「私のお墓はいらない。お骨は散骨にしてほしい。」
「私が死んだら仏壇はお魂ぬいて永代供養にしてほしい。」
このような相談が、ここ数年で大きく増えたように思います。
そして、口をそろえるように同じことを言われます。
「子どもや孫に迷惑をかけたくない」
「子どもや孫に負担をかけさせたくない」
このような人たちは、一家の後を継ぎ、先祖代々の仏壇を守り、定期的にお墓参りをし、行事のたびにお寺へお参りをしてきたのです。
みんな、それがどれだけ大変なことなのかを、身をもって感じられているのです。
そんな大変な思いを子どもや孫にまでさせたくないという、その気持ちはよくわかります。
さらにいえば、仕事の都合で離れて暮らしている場合も増えてきているので、物理的にもお墓参りをすることが難しくなってきています。
年に一度か二度くらいしかお参りできなくなるのは、ご先祖様にも申し訳ないというのであります。
そのような理由から、仏壇じまいや墓じまいをして、永代供養にする人が増えてきています。
このように、時代の変化とともに、お仏壇やお墓の在り方が変わっていくことは、当たり前のことでありましょう。
ところが、先走りしすぎるのもよくありません。
以前、「子どもや孫に迷惑をかけたくないから、今のうちに仏壇も墓もとってしまって永代供養にして、私も死んだらお寺に納めてください」と言うおばあさんがお越しになりました。
なるほどと話を聞いて、わかりましたと了承したあと、「家族の方にはちゃんと話をしておいてくださいね」というと「わかりました」と言って帰られました。
それから後日、今度はご家族の方と一緒にお越しになりました。
そしてご家族の話を聞いてみると、突然に永代供養とか言いだしたので困っているというのです。
「私たちは永代供養をするつもりはない。おばあさんが亡くなってもちゃんと位牌を作って仏壇にまつり、お骨はお墓に納めて供養しようと思っている」
と話をされました。
おばあさんは、「お仏壇やお墓を守っていくのは大変だから、みんなに負担をかけさせたくない」と理由を話します。
すると、それを聞いてご家族の方が大きな声を出しました。
「今まで育ててもらった人をまつることに、負担になることなんてない」
そして
「ご先祖さんのおかげで生きてるのだから、ご先祖さんに手を合わせて供養するのは当たり前のこと。お仏壇もお墓も守っていくのが、自分の役目だと思ってる」
と言われたのです。
その方からは、ご先祖様を守っていくという強い決意が感じられました。
それからというもの、このご家族から何の連絡がないところを考えると、おそらくは今までと同じように、お仏壇をまつり、お墓にお参りされていることと思います。
実はこのようなケースは少なくありません。
仏壇じまい、墓じまいをしたことで、家族や親せきの間でトラブルになったということもよく聞きます。
「子どもや孫に迷惑をかけたくない」と思っていても、当人たちはそれを気にしていないことも多いのではないかと思うのであります。
善導大師は、私たち衆生と阿弥陀仏との関係を
「衆生、行を起こして、口常に仏を称すれば、仏すなわち、これを聞きたまう。身常に仏を礼敬すれば、仏すなわち、これを見たまう。心常に仏を念ずれば、仏すなわち、これを知りたまう。衆生、仏を憶念すれば、仏また衆生を憶念したまう。彼此の三業相い捨離せず」
として、親子のように密接な関係があるとしています。
口で呼べば聞いてくれるし、体で礼拝すれば見ているし、心に思えばこれに気付いてくれるのが阿弥陀仏であります。
それはまるで、子どもを気遣い心配する親のようであります。
私もよく言われるのですが、親から見れば、子どもはいくつになっても子どもなのであります。
いくつになっても負担をかけさせたくない相手です。
しかし、逆に子どもは親のすることをよく見ています。
きっと親の気持ちもお見通しでしょう。
お互い相手のことを思うなら、なおさらよく話し合うことが大切なのではないでしょうか。