慈悲は時間を超えて伝わる
ときどき、おまわりさんが巡回に来てくれます。
「変わったことはないですか」
「こんなことがあったので気をつけてください」
「周辺を巡回していますが、何かあったらいつでも連絡ください」
このように声をかけてくださるので、とても心強く感じております。
以前おまわりさんが巡回に来てくれた際には、「特殊詐欺にご注意ください」と言われました。
詐欺の手段が巧妙になり、どれだけ注意を促していても、なかなか被害件数は減らないそうです。
思えば、私の祖母もあやうく被害に遭いそうになったことがありました。
警察と名乗る人から電話があり、息子が事故に巻き込まれたからお金が必要だというのであります。
さいわいにも、当時いっしょに住んでいた孫が不審に思い、本人に確認したところ、そのような事実がないことがわかったので、事なきを得ました。
祖母は「まさか自分が詐欺にあうとは」と言いましたが、被害にあった方は口をそろえるようにして「まさか自分が」と言うそうです。
日頃から気を付けなければいけないと、自分でも思うのであります。
以前、こんな不思議な話を聞きました。
ある男性の家に、夜10時ごろ電話がかかってきました。
こんな夜遅くに誰だろうと不思議に思って電話に出てみました。
すると電話の相手は「もしもし、おれだけど、母さん?」とたずねてきたのです。
これはきっと、最近問題になっているオレオレ詐欺に違いない。
男性はすぐに電話を切ろうとして、ふとその手を止めました。
「そうだ、母さんのふりをして相手をちょっとからかってやろう。」
そう思った男性は、「ああ、あんたかい」と母親の声をまねて返事をしたのです。
すると相手は信じたのか、話を続けました。
「やっと就職が決まったんだけど、母さんも一緒に探してくれてありがとう」
男性はこれを聞いて不思議に思いました。
詐欺ならば、母親が一緒に仕事を探してくれたかどうかなんて知らないし、関係のないことです。
話している内容が詳しすぎるというのです。
しかし、あまり深く考えず、相手の話を聞いていました。
相手は母さんとの思い出を、楽しそうに、ひたすら話し続けました。
そして一時間ほど話をしてから、「もうこんな時間だから、また明日電話するね」と言って電話を切ったそうです。
男性は、何ともいえない不思議な気持ちだったといいます。
次の日、「もしもし俺だけど、母さん?」と、同じように電話がかかってきました。
前日と同じ人の様です。
その人は「これから仕事に行くね」と言うので、男性も「がんばってね」と返事をします。
なぜだか、普通に会話をしてしまっているのです。
次の日も電話がかかってきました。
その日も、延々とひとりで思い出話を語っているのです。
また次の日もかかってきました。
「昨日も長々としゃべってごめんね」
と言って、その日もまた話をはじめました。
男性は「よくこんなにしゃべっていられるなあ」と思いながら、相手の話を聞いていたそうです。
そのときの電話で、思い出話を終えたように話し終えると、「じゃあまたね」と言って電話が切られました。
次の日、留守電が入っていました。
聞いてみると
「昨日まで母さんのふりしてくれて、ありがとうございました。
お母さんが生き返ったみたいで、本当に楽しかったです…。
僕はずっと誰かに頼って生きてるんだなと実感しました。
こんなくだらない会話に付き合ってくれて、本当にありがとうございました」
これを聞いた男性は、なんだかぽろぽろと涙があふれてきたといいます。
とても不思議なお話でありました。
これは私の勝手な推測に過ぎないのですが、きっとその人はお母さんを亡くして、生前に言えなかったことや話したかったことが、たくさんあったのではないかと思うのです。
そうした後悔の念が、見知らぬ人に電話をかけるという行動に至らしめたのだと思います。
また同時に私は、お母さんの愛情というものも熱く感じるのであります。
一緒に仕事を探し、子どもを思いやる心は、しっかりと伝わっていたのではないでしょうか。
思いやりの心は、慈悲の心であります。
私はこのお話から、慈悲は時間を超えて伝わるのだと思いました。
お母さんの思いやりは、あとになってから相手に伝わったのです。
受けた側が、あとになって気づいたという方が正しいかもしれません。
しかしどちらにせよ、与えたそのときだけにとどまらないのが慈悲なのだと思うのであります。
流れる時間の中で、慈悲の心はずっと存在し続けるのだと受け取ったのでありました。