たたら踏む鋳物師が鋳型土なれど
宮崎駿監督のスタジオジブリの映画「もののけ姫」を見ておりますと、「たたら場」と呼ばれる昔の製鉄所が出てきました。
そこでは多くの女性が働き、みんな楽しそうに和気あいあいとしています。
恥ずかしながら知らなかったのでありますが、たたらを使って鉄を作り出す「たたら製鉄」は、日本特有の環境で発達していった独自の技術なのだそうであります。
しかもその起源をたどれば、弥生時代までさかのぼるといわれています。
当時の遺跡には製錬炉のあとと思われる穴が発見されていたり、住居跡から砂鉄の製錬炉が出土していたりしているそうです。
この製鉄方法が大きく進歩したのが、日本独自の「たたら製鉄」であるといわれています。
たたらとは炉に空気を送り込むふいごのことで、これによって大量の空気を送り込み、炉内の温度を上げていました。
自然界にある鉄は、砂鉄などの化合物として存在し、酸化鉄のように別の物質と組み合わさっていて、純粋な鉄としては存在しないそうです。
そこでここから鉄を取り出すために、炭素と組み合わさなければいけません。
まず炉の中で木炭を燃やし、たたらを踏んで炉の中に風を送り、炉内の温度を上げていきます。
そして砂鉄と木炭を交互に入れていきます。
さらに、リンや硫黄などの物質を一緒にいれることで低温で加熱することによって、純度の高い鉄を取り出すことができるそうであります。
日本では良質な砂がとれ、また木炭の生産のための森林の資源が豊富なことも相まって、たたら製鉄は独自の製鉄方法として発達していったといわれています。
たたら製鉄によってできた、純度の高い玉鋼は酸化に強く、飛鳥時代に建てられた法隆寺に使われている釘は、1300年以上たった現在でも、その内部は新品同様の状態を保っているといわれています。
これほどの技術が日本で生まれ、受け伝えられているということは、なんともすばらしいことであります。
西山上人は
「たたら踏む 鋳物師が鋳型 つちなれど
中に黄金の 仏こそあれ」
と御詠歌を残しておられます。
たたらを踏んで出来上がった鉄は、土でできた型の中に入れて形を整えます。
一見すると土の塊のように見えますが、その中にはたたら製鉄で出来上がった良質な黄金の仏の像が完成しているのです。
そのように、私たちの心の中にも、立派な仏の心が宿っているというのであります。
「涅槃経」には「一切衆生悉有仏性」といい、すべての衆生には仏の心がはじめから備わっているといいます。
また「観無量寿経」には「諸仏如来はこれ法界の身なり、一切衆生の心相の中に入りたもう」と説かれています。
私たちがいるこの世界は仏の世界そのものであり、それは衆生の心の中にも入っているというのです。
つまり、私のこころが私の心に入り、仏と一体となった存在であるというのであります。
仏の心が宿っているにもかかわらず、煩悩によってそれが隠れて見えていないだけなのであります。
ときどき、家族につれられて幼稚園や小学校低学年くらいの子どもがお参りに来られます。
それくらいに年齢の子は、なかなか落ち着きがなく、やんちゃでわがままであることが多いようにいわれます。
ところが、お参りに来た子どもたちはみんなおとなしく、真面目で、落ち着いた様子を見せています。
お勤めの間もうろうろすることなく、最初から最後まできちんと座っています。
ちゃんとお焼香もして、ちゃんと合掌してお参りをしています。
「ちゃんとお参りできて、えらかったね」
と声をかけると、ご家族の方からよく
「家では全然じっとしないんです。普段からこれくらいおりこうさんにしてくれたらいいのに」
と返ってきます。
しかし、よくよく考えてみると、大人でも同じではないでしょうか。
家にいるときはわがままで、やりたい放題し、傍若無人な振る舞いをしていないでしょうか。
欲しいものを手に入れようと躍起になって貪り、何かあれば怒りにまかせて相手を攻撃していないでしょうか。
それでも、お寺に来たら静かにおとなしく立ち振る舞い、自分を取り繕っているのであります。
大人も子どもも、同じであります。
私たちはもともと、仏の様なすばらしい心を持ち合わせているのです。
しかし、環境や縁によって、自分の中にある煩悩がその心を隠してしまっているのです。
黄金の仏があらわれるように、煩悩の土を少しでも取り除いていきたいものであります。