お寺の掲示板『マナーの良さは自分をみんなを幸せに導く』
最近、マナーに関する記事をよく見かけるような気がいたします。
ちょっと調べるだけでも、多くのマナーが出てきます。
ビジネスマナー
接客マナー
テーブルマナー
慶弔のマナー
手紙のマナー
学校でのマナー
ケータイマナー
あらゆるところでマナーが必要とされ、ときどき息苦しく感じるときもあるように思います。
先日、マナー講師なる方が芸能人に対して、あれは違う、これは違うと言って、大声を張り上げてマナーの指導をしている動画を見ました。
厳しすぎる指導に身を引く思いでありましたが、同時に、知らないマナーがほとんどだったので、改めてマナーを学ぶ必要性を感じました。
ネットでいくつかマナーに関する記事を見ておりますと、マナーは思いやりであると出てきました。
他者と接するときに、相手を不快にさせないための行動が、マナーであるというのです。
ルールのように決められていることを他律的に行うのではなく、自発的に相手を思いやる行動を取っていくのであります。
誰かに言われて行動するのではなく、自分で必要だからと思って行動する所に、マナーの大きな意義があるように思います。
これはちょうど、戒と律の関係にあるように思います。
戒とは仏教道徳のことで、これを守って行動し、習慣化することで、よりよい人格者、ひいては悟りを開いて仏になることができます。
対して律は、教団維持の為の規則のことであります。
戒は破っても罰則はありませんが、律には罰則がともないます。
しかし、律を守ることが悟りの条件にはなりません。
悟りにつながるのは戒であります。
私達は社会の中において、法律というルールで縛られています。
法律を破ると罰則があり、罪にとわれることになります。
対してマナーには罰則がありません。しかし、社会の中でお互いの活動を円滑に進めていくために、マナーはとても大切なものなのであります。
言い換えれば、ルールを破らなければ何をしてもいいというわけではありません。
人間が人間として人間らしく生きていくために必要なことなのであります。
善導大師『往生礼讃』の中には、「慈心相向仏眼相看」ということばがあります。
慈心をもって相向かい、仏眼をもって相看る
お互いが慈しみの心をもって向かい合い、仏のような優しい眼で見ることの大切さを教えています。
慈しみの心は、思いやりの心であります。
思いやりの心がよりよい人間を作り、そしてよりよい社会を作っていくのであります。