仏教を信仰する人が目指していることは、最終的に「智慧」を身につけることです。
智慧を身につけることで、悟の境地に達して涅槃にいたることができます。
ところが、辞書などで調べると、漢字違いで「知恵」というものがでてきます。
実は仏教でいう「智慧」と、「知恵」は意味合い的に違います。
どんな違いがあるのでしょうか?
「智慧」と「知恵」の違い
お釈迦様は、修行によってこの世の苦しみから解放されることができると説かれました。
そのために必要なのが「智慧」です。智慧を身につけることで、涅槃という悟りの境地へ説いたり、すべての苦しみから解放される事ができるのです。
「智慧」は「六波羅蜜」という修行の一つにも数えられ、また「三学」といって出家沙門が学んで身につけなければいけないものの一つにも挙げられるように、仏教においてとても大切なものです。
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「智慧」はものごとを正しく見る能力のこと
「智慧」は、ものごとを正しく判断し、決定していくための心の働きのことをいいます。
ものごとを正しく判断するとは、言い換えれば「ありのままに見る」ということです。
例えば、同じ釜で炊いたご飯を、AさんとBさんが食べたとき。Aさんは「おいしい」、Bさんは「まずい」と、それぞれの感想が違ったとします。
この時、同じ田んぼからとれて、同じ時に精米して、同じようにお米をとぎ、同じ釜でお米を炊いたのに、「おいしい」「まずい」という違いが出てくるのはなぜでしょうか?
同じ釜でたかれたお米の中から、Aさんのお茶碗によそわれたお米がピンポイントでおいしくて、Bさんのお茶碗によそわれたお米がピンポイントでまずかったのでしょうか?
そうではありませんよね。単純にAさんが「おいしい」と判断し、Bさんが「まずい」と判断したに過ぎないのです。つまり、お米そのものがおいしいとかまずいというのではなく、お米を食べるという行為を通して、その人の心の中で「おいしい」とか「まずい」という感情が作られているのです。
このように、世の中のすべてのものごとは縁によって成り立っている、ただの現象にすぎません。
その現象を受けて、私たちは自分の心の中で「いい」とか「わるい」とか、「おいしい」「まずい」「好き」「きらい」「楽しい」「苦しい」などと、勝手に感情を作りだしているのです。
換言すれば「ありのままに見る」ということができないということです。
ありのままに見ることができず、自分勝手な感情を含め、自分勝手にものごとを判断し、自分勝手にものごとを進めたいと願ってしまうので、私たちはいつまでたっても悩み苦しみから解放されずにいるのです。
これを「智慧」がないというのです。
「知恵」は「知識」を活用する力
「知恵」は物事の道理を判断し、適切に処理していく能力のことをいいます。
いいかえれば、「知恵」は「知識」を活用する力ともいえるでしょう。
「知識」とはあるものごとに関して知っている内容の事をいいます。
例えば、「夏は暑い」「冬は寒い」というのは知識です。
これに対し、「夏は暑いから水分をたくさんとろう」とか「冬は寒いから厚手のコートを着よう」というのが、知恵です。
このように、知識のうえに知恵が成り立ち、知識と知恵はお互いが密接な関係を保っています。
対して「智慧」となると、「夏は暑い」「冬は寒い」ということを知って、だからどうするというわけでもなく、ありのままにその状況を見て「夏は暑い」と知り、「冬は寒い」と知って、ありのままに受け入れていくことのできる能力のことをいいます。
智慧の獲得を妨げているもの
人間には智慧がありません。すなわち、ものごとをありのままに見ることができません。それによって怒りや貪り、悩み苦しみが生じているのです。
その原因は何でしょうか?
それは煩悩です。
あれがしたい、これがしたい、あるいはしたくないといった、個人の都合、わがままが、智慧の獲得を妨げているのです。
例えば、「夏は暑い」という場合、「暑いから水がほしい」「涼しいところにいきたい」「外に出たくない」などの願望が生まれます。その願望が叶わなかったとき、腹を立てて怒ったり、叶ったら叶ったで、もっともっとと欲望が生み出されます。
必要以上にそこに執着し、いつまでも苦しみの根本から解放されることができないのは、何でも自分の思い通りにものごとを進めたいと思っている、人間が本質的に持っている煩悩のせいなのです。
水が手に入らなくても、涼しいところにいくことができなくても、今自分が置かれた状況を、ありのままに受け入れることのできる能力が、智慧というのです。
智慧はありのままに見ること
智慧は、ものごとを正しく、ありのままに見ることです。
ありのままにものごとを見ることができず、自分の欲望に執着し、自分の思い通りのものごとを進めたいと願っているので、人間はいつでも悩み苦しんでいるのです。
ものごとのすべては自分の心が作り出しているということをしっかりと理解し、客観的にものごとを見るように心がけましょう。