「もうがんばらなくていいんだよ」
お話をひとつ紹介します。
『もうがんばらなくてもいいんだよ』
もう十数年前になるけど、嫁が急逝してドロップアウトした。
赴任先の基幹病院のある地方都市。
俺の嫁は誰も知り合いもいない土地で、
最後まで子供の心配しながら最後まで俺に謝り続けて一人で逝った。
3歳の娘一人残して。
葬式の時、娘は
「ママいつ来るの?ママいつ起きるの?いつ起きるの?」
ってずっと泣いていた。
娘は嫁の実家で面倒みてもらいながら仕事に戻ったよ。
忙しい病院だった事に加え、いつも学会準備に追われていたので帰宅は毎日遅かった。
それでも休みの日には嫁の実家に泊まりにいって、少しでも 娘と一緒にすごすようにした。
母親がいなくなった事も受け入れているようで、
俺がいくと、いつも笑って走って来て
「パパー!!」
って抱きついてき た。
嫁の実家に行ってからは泣くこともなく娘は楽しく暮らしているように見えたよ。
嫁の実家で娘と一緒に寝ていた時、
深夜にすすり泣くような声で目が覚めた。
俺が起きた事に気が付くと、
一生懸命に寝た振りをしようとしていたけど、
すすり泣く声が漏れる。
娘を抱き上げて、どうして泣くのを我慢するんだ?
って聞 ても黙っていた。
何度も何度も聞いたら、
「じいちゃんとばあちゃんに、パパは忙しくて疲れているのだから絶対に泣いたりして困らせちゃダメ!」
って言われてそれを一生懸命まもっていたらしい。
嫁の実家の生活でも気をつかって、
いい子でいなきゃいけないって頑張って、
3歳の子が泣きもせず、
わがままも言わずに祖父母の言う事もよく聞いて、
毎晩ふとんの中で祖父母を起こさないように一人で声を殺して泣いていたらしい。
娘は嫁の実家に来て以来、はじめて大声をあげて泣いた。
「ママんとこ行きたいー おうちに帰りたいー おうち帰るー」
ってずっと叫んでいた。
娘にとっては大好きな母親と暮らしたあの家だけが
「自分のおうち」
だった。
今まで言えなかった思いが噴き出して狂ったように、朝まで泣き叫んでいた。
驚いて起きてきた祖父母も悟ったらしく一緒に泣いていた。
娘に
「もう頑張らなくていいんだよ。おうちに帰ろうね」
と約束して抱きしめて一緒に泣いた。
医局を辞める決意をしたよ。
娘を連れ帰ると決めたので、少しでも娘と一緒にいる為に。
週休3日の自由診療のクリニックへの入職も決めた。
休みが多く早く帰宅できて、当直やオンコールのない職場ならなんでもよかった。
教授室のドアをたたき事情を説明した。
教授はドロップアウトする俺を、
汚物でもみるような目でみて
「いいから早くここから出て行きなさい」
と言ったのを最後に、目もあわせてくれなかった。
上の先生達にも、数時間なじられた。
赴任先の病院を急に辞める事で迷惑かけるので、血の気の多い先輩には殴られた。
退局後、祖父母に心からのお礼を言って娘を連れ帰ってきた。
小さな仏壇も用意して、その前が娘のお気に入りの場所になった。
昼間は保育園にあずけたり、
嫁の実家にあずけたりして新しい仕事を始めた。
早いと16時、遅くとも18時には帰る事ができるクリニックだったので、
娘とすごす時間は格段に増えた。
包茎手術から植毛、美容外科までなんでもやった。
大学の同期の連中からは白い目で見られ続けた。
その手のクリニックが今よりはるかにあやしいイメージの時代だったので。
こんな医者として最下層までドロップアウトした俺を見て育ったのに、
娘は医学部に行きたいって言い出した。
正直、今の情勢で医者になるのは疑問だったけど、
こんな俺を見ながらにして同じ仕事を目指してくれたのが本当にうれしかった。
医学部に合格して、娘と二人で母親の墓前に報告にいった。
こんなにいい子に育ってくれたと胸をはって報告できた。
娘が社会にでて、幸せにしてくれる旦那をみつけたら俺はいつ死んでもいいな。
ちょっと疲れたよ^^;。
医局員が見たら誰の事か一目瞭然だな。
その節は本当に御迷惑おかけしました。
娘と二人でなんとかやっています。
これは、何年か前にインターネットの掲示板サイトに掲載されていたものと思われるお話であります。
とても感動いたしました。
たった3歳の女の子が、母親を亡くし、父親にも祖父母にも迷惑をかけまいと必死に堪える姿に、心を打たれました。
同時に、そのつらさや苦しさが伝わってくるお話であります。
がんばってがんばって、もうこれ以上頑張れないということが、誰しもあると思います。
そんなときに必要なのが、心の支えになる存在であります。
3歳の娘には父親が、父親には娘がいたから、その悲しみを乗り越えることができたのではないでしょうか。
阿弥陀仏は、私達に何かを要求することはしません。
無条件で、その身そのまま救ってくださります。
言い換えれば、頑張らなくてもいいよということであります。
頑張りたくても頑張れない、そんなときに私を救ってくれる、阿弥陀仏の大きな慈悲を思い起こすのであります。