
「石ころ」金子みすゞ
「石ころ」
きのうは子供を
ころばせて
きょうはお馬を
つまずかす。
あしたは誰が
とおるやら。
田舎のみちの
石ころは
赤い夕日に
けろりかん。
田舎道の風景を描いた、とてもユーモラスのある詩です。
石ころの転がっている田舎道を、元気に歩いている子どもたちがころぶ。
荷物を引いている馬が通って、けつまずく。
でもその石は何事もなかったかのように、夕日に赤々と照らされてけろっとしている。
さて、明日はだれが通り、だれがつまずくのでしょうか。
巧みな擬人化で、石の顔まで目に浮ぶような思いがします。
たったひとつの石ころから、ここまでここまで想像をふくらませ、読む人を楽しませる。
金子みすゞさんは、本当に感性豊かな人だったのだと、改めて感じさせられます。
さてところで、この詩を読んだ人は、どの立場に立ってこれを見ているのでしょうか。
転ばされた人の立場に立ち、石に腹立たしさを覚え、邪魔者扱いするでしょう。
しかし私は、この石に自分自身を重ね合わせて考えてみることも大切だと思っています。
石と自分を合わせて見てみて、どうでしょうか。
他人を傷つけておきながら、あっけらかんとした顔で生活をしていないでしょうか。
自分自身のことをきちんと理解せず、自分自身の行いを省みないのが私たち凡夫です。
平気で他人を転ばせておいて、なにごともなかったかのように、それどころか知らん顔をして、自分は何も悪くないと振る舞っているのです。
それなのに転ばされたときには、あいつが悪い、こいつが悪いと相手を責めて非難するのです。
自分のあり方を、つくづく考えさせられます。
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