なんのために生まれてきたのか?
私たちは何のために生まれてくるのでしょうか。
そして、なんのために生きるのでしょうか?
アンパンマンの歌にも、こんな歌詞があります。
なんのために うまれて
「アンパンマンのマーチ」より
なにをして いきるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!
例えば算数の計算に答えがあるように、生きることに対しても答えを求めて生きているのが私たち人間です。
しかし、算数では1+1の答えが必ず2になりますが、生きる答えは一つではありません。
私が持っている答えと、あなたが持っている答えは、きっと同じではないでしょう。
ということは、何のために生まれて何のために生きるのか?という答えは、自分で見つけ出さなければいけないということです。
縁によって生まれ、縁によって死んでいく
すべてのものごとは、因縁の法則によって成り立っています。これは、すべての現象には必ず原因があり、縁によって結果が生じるということです。
例えば、花を咲かせようと思うと、種をまかなければいけません。そして、毎日水をやったり肥料をあげたり、あるいは太陽の光を浴びるなどすることで成長し、花を咲かすことができます。
この時の、花の種が原因で、水や肥料や太陽の光など、種に影響を与える外的要因のことを縁といいます。
きれいな花を咲かすために、適度な水や肥料を与え、そして適度に日光が当たることによって、花が咲くという結果が生じるのです。
そして、咲いた花はいつかは枯れて、次の世代へと種を残し、また新たな花が咲きます。このように、生じた結果はすぐさま次の結果を生じさせる原因となるのです。
私たち人間の世界も同じです。
自分の肉体を使って働いた分だけ給料というお金に変わり、お金で食事を得て体内に摂取します。取り込んだ食べ物は体に吸収されてエネルギーとなり、そのエネルギーを消費して肉体を動かすことができます。
生じた結果はすぐさま原因となり、そこに縁という外的要因が加わることで結果が生まれます。そして生まれた結果は再び原因となって次の結果を生み出します。
すべてのものごとはこの法則の上に成り立っています。つまり、人が生まれてきたということも、この因縁の法則によるものだと考えるのです。
ある男性とある女性が出会い、それぞれの精子と卵子が出会ったという、その結果として私が生まれてきたにすぎないのです。
「なんのために」生まれてきた、ということはなく、ただただ因縁の法則にもとづいて生まれてきたのです。
そして、生きる理由もなければ生きる目的もなく生まれてきているので、生きることは苦しいと考えるのです。
あなたに会うために生まれてきた
それでも、生きる理由が欲しいと考えるのが人間です。
もとから理由のないものに、理由をつけるとしたら、自分自身でそれをつけなければいけません。
もし生まれてきたことに理由をつけるなら、わたしは「あなたに会うために」と言うでしょう。
「あなた」とは、私以外の人のこと。
父親、母親、兄弟、家族、親戚、友達、同僚、先輩、後輩、上司・・・
そして、この文章を読んでいる「あなた」もその一人です。
人間が一生うちに出会う人の数はほんのごくわずかです。しかもその中には、一度きりの出会いだということも多くあります。
出会わない人がほとんどの中で、「あなた」に出会うことができた。それは、強い強い縁でひきつけられ、結びつけられたものでしょう。
たった一度の人生で、あなたに出会えた感謝の思いを、いつまでも心に強く残していっていきたいものです。