インドと牛の関係
インドでは昔から、牛は神聖な動物としてあがめられています。
お釈迦様が悟りを開いてブッダとなる前から、インドにはバラモン教という宗教がありました。
バラモン教の中にはブラフマン(梵天)という神様を最高神に、様々な神様が人間に恩恵を与えていると信じられていました。
その中に、牛に乗る神様がいるので、牛は神様の使いであるとして神聖化されました。
バラモン教はその後時代を経て民間信仰などと融合されてヒンドゥー教に変わりましたが、その考えは今でも変わらず続いています。
ヒンドゥー教の神であるシヴァは牛に乗り、インドでは今も牛は神聖な動物とされています。
そしてその「聖なるもの」という考えは、牛の排せつ物にまで及びます。
どういうことかというと、神の使いである神聖な牛から排泄された尿も神聖なものであるので、牛の尿には病気を治す特別な力があると考えられているのです。
昨今のコロナ禍で、インドでは牛の尿を飲むというパーティーが開かれたそうです。
神聖な動物である牛から出された尿を飲むことで、どんな病も治り、どんな病気からも守られるというのです。
現在ではこれに科学的根拠はないそうですが、昔から続く信仰に沿って、コロナウイルスに打ち勝とうとしたのです。
また、インド映画界でスーパースターの俳優は、毎日牛の尿を飲んでいるそうです。
さらに、育毛の方法として、牛の尿を飲むという方法が、今もインドでは行われています。交尾前の牛の尿を飲むことで、育毛に効果があると昔から伝わるのです。
お釈迦様がおられた二五〇〇年前、牛の尿には病気を治す効果があるということはインドでは当たり前のこととされていました。
そしてお釈迦様も当たり前のように、牛の尿には病気を治す作用があると考えていたのです。
当時修行している僧侶は、生活のすべてにおいて厳しい制約が課せられていました。
着るものはごみ溜めや死体捨て場にあるぼろ布を縫い合わせたものしか着られません。
食べるものは、持っている鉢の中に在家信者の人が入れてくれたものしか食べることができません。
住むところは、自分で建物を建てることはできず、木の下や洞窟などの雨風をしのげるところを探して住みました。
そして、何かあった時には牛の尿を薬として使いなさいとされたのです。
実際には、着るものも食べるものも住むところも信者の人々のお布施によって賄っていたので、ある程度はきれいなものを着て、布施によっていただいた建物の中で生活をしていたといわれています。
ではなぜこのように厳しく生活が制限されたのでしょうか。
それは、欲を捨てるためです。
きれいなものを着ていると、もっときれいなものが欲しいと思ってしまいます。
おいしいものを食べると、もっとおしいしいものが食べたくなります。
そしてもっといい生活がしたいと考えてしまいます。
とめどなくあふれ出てくる欲望のことを、仏教では「渇愛」といいます。
例えば、喉が渇いて乾いて仕方のないときに塩水を飲むと、いつまでたっても満足することなく、かえって喉の渇きがますます強くなるように、人の欲も次から次へと止まることを知らないのです。
そんないつまでも終わらない欲望を打ち消すために、衣食住のすべてにおいて厳しい制限をかけて必要最低限の物しか持たないようにしたのです。
あれも欲しいこれも欲しいという欲望を捨てることによって、安らかな心の境地に至ることができるのであります。