言葉と行動
人と人がコミュニケーションを取るためには、言葉は大切なものです。
時代によって新しい言葉が生み出されたり、同じ言葉でありながら違う意味が付け加えられ、あるいはそれらが完全に別の意味で使われるようになったり。
言葉で他人を励ましたり元気づけることもできれば、反対に他人を傷つけることができるのも言葉の特徴です。
言葉の使い方には、いつまでたっても気を遣います。
先日家族とファミリーレストランで食事をしていると、隣の席に座っている女性の会話が聞こえてきました。
制服を着ていたので、10代の学生さんのようです。
意図せず聞こえてきた言葉に、思わず耳を傾けてしまいました。
「あれ、ホントすごいよねー」
「そうそう、すごい、すごい!」
「マジですごいよねー!」
「うん、マジですごいと思うわー」
「いやー、まじでヤバかったわ」
「確かに、それはヤバいねー」
何がすごいのか、何がヤバいのか、とても気になったのですが、これ以上は聞き耳を立てるわけにはいかないと、意識をコチラにもどしました。
彼女たちに、いったい何があったのでしょうか。
いいことがあったのか、それともわるいことがあったのか。
そこでふと、確か「ヤバい」という言葉は、もともとは悪い意味として使っていたはずだと思い出しました。
調べてみると、その由来は江戸時代にまで遡るというので驚きました。
もっと最近になってから使われていたと思っていました。
江戸時代、牢屋の看守のことを「厄場(やば)」といいました。
泥棒などの悪党たちは、悪いことをしているときに見つかりそうになると「やば」という隠語を使って教えあっていたといわれています。
それが若い人たちの間でも、悪い状況になると「やば」と言うようになり、次第に広がっていって世の中に定着していったというのです。
そして、このようにもともと悪い状況に陥ったときに「やば」「やばい」と言って否定的な言葉として使われていたものがが、「すばらしい」「かわいい」など、肯定的な感情を表現するときにも使われるようになりました。
今ではどの世代の人も使う、当たり前の言葉として定着しているのです。
なるほど、改めて調べてみると面白いものです。
時代の変化とともに言葉の使われかたが変わっていくのは、至極当たり前の事なのかもしれません。
思えば、「頑張る」という言葉にも、今とは違う意味があるといわれています。
「頑張る」はもともと「我を張る」という言葉で、「自分を押し通す」という意味があります。
ひと昔前は「あの人はよく頑張ってるなあ」と言って、相手を軽蔑するときに使っていたといわれています。
「もっとおとなしくなればいいのに」という意味が込められていたということです。
それが現在では「努力する」という言葉と同義として使われているのです。
これがいいとか悪いとかいうわけではありません。
ただ、言葉と同時にそれに伴う行動も変わっていくものです。
たとえば「はしたない」という言葉を最近聞かなくなりました。
「はしたない」と言われる人がなくなってきているということです。
すると、「はしたない」人が増えてきてしまうのです。
それに対する意識が、言葉と一緒になくなっていってしまうというのです。
「頑張る」も同じです。
最近、むやみに「頑張る」という言葉を使わないようにしようという傾向があります。
「頑張る」「頑張れ」と言われると、「もっと頑張らなければいけないのだ」という罪悪感を覚え、心をおいつめてしまうことになりかねないというのです。
あるドラマでは「頑張れ」と励ますことに対してパワハラになる危険があるというシーンさえありました。
しかし、するとどうなるでしょう。
頑張る人(努力するという意味で)がなくなってきてしまうのではないでしょうか。
なんだか余りにも極端です。
お釈迦様は「中道」という教えを説きました。
どちらか一方にかたよることなく、物事を見なさいということです。
「頑張れ」という言葉を使ってはいけない人もいるでしょうが、「頑張れ」と言ったほうがいい人もいるはずです。
このあたりの使い分けをうまくできる人になりたいものであります。
言葉と行動との関係は本当に深いものだと感じます。
ひとつひとつ気をつけていくようにしましょう。