「だれが風を見たでしょう」クリスティーナ・ロゼッティ
寒い日が続いています。
頬が凍てつくような冷たい風が時折吹いて、思わず身をすくめてしまいます。
落ち葉が風にあおられて高く舞い上がる様子を見ながら、「風」という詩を思いだしました。
「風」
クリスティーナ・ロゼッティ作
西條八十訳誰が風を見たでしょう
僕もあなたも見やしない
けれど木の葉をふるわせて
風は通りぬけてゆく誰が風を見たでしょう
あなたも僕も見やしない
けれど樹立が頭をさげて
風は通りすぎてゆく
深く考えさせられる詩です。確かに、誰も風を見たことがありません。しかし、確かに風はそこに吹いているのです。それをどうやって知ることができるのでしょうか。
それは、葉っぱが宙を舞っているのを見たり、木が枝をしならせて何度も上下しているのを見たりして、その様子から判断しているのです。
見えないものに目をむける、とても奥が深い詩だと思います。
私はこの詩を読みながら、人間と同じだと思いました。目に見えないけれど、見えるものを通して見えてくるものを、私たちも持っています。
それは「心」です。
心は目に見えません。しかし、心遣いは見えるものです。相手を思いやる気持ちがあれば、それは自然と行動に表れてでてくるものです。
相手のことをどれだけ大切に思っているか、相手からどれだけ大切に思われているか。お互いの心を、言葉や行動を通して理解していくのです。
見えないものを見ることはできません。しかし、見えるものを通して見ることはできます。
どれだけ自分がいろいろな人に思われながら生きているか。しっかり考えながら生活していきたいものであります。
供養なら、和歌山かんどり本山総持寺へ
仏さまやご先祖さまからいただいた安らかな心は、私たちに「今、ここに生かされている」という事実を深く感謝する心をもたらしてくれます。
この感謝の気持を行動に表したのが、「供養」です。
「供養」とは、このいただいた命への感謝であり、ご先祖様や故人様への報恩の心を形にする行いです。
和歌山市に位置するかんどり本山総持寺は、「いつでもお参りができるお寺」として、心の通う供養を大切にしています。仏さまやご先祖さま、故人を偲ぶ場所は、いつでも気軽に訪れられる場所であってほしい。そんな願いを形にしたのが当山です。
特に近年ニーズが高まるお納骨や永代供養についても、安心して任せていただけます。永代にわたる供養と管理を通じて、ご遺族様の負担を軽減し、「近いからいつでも会いに行ける」という安心感を提供します。
ご供養は、命をいただいて今を生きていることに感謝をし、自分自身の心も清める大切な行いです。しあわせな未来を生きていくために、ご供養は、歴史と安らぎに満ちたかんどり本山総持寺へ、ぜひご相談ください。




