ブッダの出家に学ぶ 苦しみから解放される方法

ブッダは「いきづらさ」を感じて出家しました。そこから私たちは、何を学ぶことができるでしょうか。写真:ピクト缶
日常の生活の中で、「生きずらい」と感じることはよくあるのではないでしょうか?
仕事、家事、育児、学校、人間関係・・・
いろんなところで問題が起こり、出来事や感情に振り回されて、次から次へと悩みが生まれてきます。
こうした「生きずらさ」のことを、仏教では「苦るしみ」といいます。
ブッダは、こういった「苦るしみ」から抜け出すために出家し、悟りを得ました。
2500年の時を超えて、今私たちがブッダから何を学ぶことができるのでしょうか?

ブッダの出家から学ぶ

ブッダの出家の理由

ブッダは、今のインドとネパールの国境付近にあった都市、カピラ城の釈迦族の王子として生まれました。名前を「ゴータマ・シッダッタ」といいます。

シッダッタは王子として生まれたので、衣食住には何不自由のない生活をしていました。食べたいものは何でも食べられるし、欲しいものは何でも手に入ります。歌や踊りなどの娯楽もあふれていました。

しかし、そんな生活はシッダッタにとって満足のいくものではありませんでした。人は必ず年を取り、病に侵され、そしていつか死んでいかなければいけません。そんな人間の本質に気づくと、いいものを食べることも、歌や踊りの娯楽も、所詮はその時だけの楽しみであり、なんともむなしいものにしか感じなくなりました。

また、当時のインドは「梵天」という神様を頂点とする「バラモン教」を中心に考える社会が出来上がっていました。この社会では人は生まれながらにして身分が決まっているというカーストという制度が定着し、身分の差別は当たり前のように存在していました。

そして29歳の時、こうした社会の中での生き方に「生きづらさ」を感じていたシッダッタは、出家をすることを決意したのです。

出家は「逃げること」

出家をするとはどういうことでしょうか。

それは、世俗の生活から逃げ出すということです。

世俗の生活とはどういうものか。それは、仕事をしてお金を稼ぎ、家を持ち、結婚して家庭を持ち、子どもを産んで育てて、年を取って死んでいくという、ほとんどの人が「あたりまえ」と思っている生活のことです。

そして、その生活の中で「少しでもいい生活がしたい」「幸せになりたい」と願って生きているのが人間です。

「もっとお金が欲しい」「もっといいものが食べたい」「もっといい服を着たい」「すごい美人と結婚したい」「もっと長生きしたい」「もっと健康でいたい」・・・

言い出したらキリがありません。このように、今よりももっといい生活がしたくて、もっと幸せになりたくて、その幸せを求めているのが、世俗的な生活です。

しかし、これでは満足しない人もいます。「もっともっと」と求めても、どんなに努力しても得られないことがほとんどですし、欲しいものが手に入っても「もっと欲しい」「違うものが欲しい」と次から次へと欲があふれ出てきます。

つまり、「苦しみ」がいつまでたってもなくならないのです。

また、当時のカーストという身分差別があったことから、どんなに努力しても身分以上のものは手に入りません。特に奴隷身分の人はどこへ行っても奴隷扱いを受けます。努力しても何も変わらない差別社会に、不満を持つ人が出てくることは、至極当たり前のことでしょう。

このような社会の中で、いわゆる普通の生活をすることに「生きづらさ」を感じた人が、出家をして修行の道を歩んだのです。出家とは文字通り「家を出る」ということ。生きることの苦しみや社会の制度の中で「普通に」生きることができない人が、その社会の中から逃げ出して、出家し、沙門となって修行生活に励んだのです。

 

これらをそのまま、今の私たちに当てはめてみてはどうでしょう?

現代の社会は物であふれています。裕福とまではいかなくても、それなりにご飯を食べることができるし、着るものも安く手に入ります。数十年前と比べたら、よっぽどいい生活をしているのではないでしょうか。

しかし、こんな社会の中で「生きづらさ」を抱えている人はたくさんあると思います。数十年前と比べて今がどんなに豊かで恵まれていようが、生きづらいと感じる人がいるのはいつ時代も同じです。

王子として生まれて生活をしていたシッダッタが、衣食住に恵まれて豊かな生活を送っていながらも「生きづらさ」を感じていたように、現代を生きる私たちが「生きづらさ」を感じるのは当たり前のことではないでしょうか。

そして、この「生きづらさ」に抗いながらその社会の中で生きることをせずに、そこから逃げ出したのがブッダです。仕事をしてお金を稼いで、結婚して家庭を持つという、「普通」の生活に生きづらさを感じるなら、逃げてしまえばいいんです。

環境を変える

出家して沙門となるということは、自分の生活環境を変えるということです。

ゴータマ・シッダッタは、釈迦族の王子として生まれ育ちました。そして、出家して沙門となりました。今まで衣食住のすべてにおいて何不自由のない生活をしていたシッダッタが、その日に食べるものさえも自分でどうにかしなければいけない環境に飛び込んでいったのです。

その心持はどうだったでしょうか。修行生活は苦しくつらいものなのでしょうか。

おそらくシッダッタは、王子としてのカピラ城で生活をしているよりも、出家して修行生活を送っていることのほうが、充実した生活を送っていたのではないかと思うのです。つまり、出家修行の生活に「生きがい」を感じていたのではないでしょうか。そうでなければ、修行を辞めて再び世俗の生活に戻っているはずです。

 

生活環境を変えるということは、とても勇気がいる決断です。とても労力のいることです。しかし、その決断が人生を大きく変えることにもなります。

嫌いな人からは遠ざかればいいし、嫌な仕事はやめて新しい仕事を始めたらいい。新しい趣味を初めて出かけたり、普段行かないところへ行ったりするのもいいでしょう。そしてそれが合わなければまた辞めたらいいのです。

生活環境を変えて生きがいのある生活を送ったのがブッダです。苦しいところから逃げることは、生きていくうえではとても大事なことなのです。

ブッダも一人の人間である

ブッダはなにも特殊な能力を持った超人ではないのです。私たちと同じ、悩みの多い一人の人間です。

ブッダは生きることに苦しさを感じ、生きがいを求めて家を飛び出し、出家して修行生活に励みました。その人生をたどることで、今を生きる私たちが生きがいを持って生きるためのヒントにもなります。

出家をするということは、今の生活から抜け出し、生活環境を変えるということです。新たな世界に飛び込むことで、ブッダはそこに生きがいのある生活を見出したのです。

今の私たちにも、通じるところがあるのではないでしょうか。