草抜きはの面倒は、考え方一つで解消する。

草抜きをいくらやっても、雑草は生えてくる

だんだん日差しが強くなり、気温も高くて暑く感じられる日が増えてきました。

それに加えて、梅雨にも入って雨が多い日が続きます。

 

こうなると、大変になるのが草抜きです。

お寺の境内ではあちこちに雑草が生い茂ります。

雑草の生い茂る総持寺の中庭。ちょっと放置するだけで雑草はどんどん伸びます。

雨が降った後の、天気のいい日を見計らって、草抜きに精を出します。

根っこが残っていると、またそこから雑草が生えてきます。しっかりと根元からひっこ抜くように気をつけてはいるのですが、なかなかうまくいきません。

昔は、抜いても抜いてもすぐに生えてくる雑草が嫌いで、草抜きもイヤでイヤで仕方ありませんでした。

「草抜きをしても、すぐに雑草が生えてくるのに、なぜ毎日しなければいけないのか?」 

修行中はそんなことをよく感じていました。

  

しかし、最近はこんな風に思うようにしています。

いくら草抜きをしても、雑草は生えてくるものだ

つまり、実際に起きている現象を、そのまま受け入れるようにしているのです。

 

物事には、自分の力ではどうにもならないことがたくさんあります。

むしろ、自分の力ではどうにもならないことがほとんどではないでしょうか。

そんな中にあって、ちょっとでも自分の思うとおりにいかせたいと願い、自分の欲のままに考えて行動してしまうのが人間です。

雑草が生えてくることは、自分の力ではどうにもならないことでありながら、どうにかして雑草を生えないようにしたいと願い、それに向けて行動し、悩んでいるのです。

雑草は抜いても抜いても生えてくるものだ、ということをはじめから受け入れておくことで、気持ちはぐっと軽くなるというものです。

 

目の前にあるものを、ありのままに見るように心がけましょう。

煩悩という雑草を抜き去る

 

次から次へと生えてくる雑草を、自分の心と照らし合わせて考えてみます。

すると、まるで次から次へと沸き起こってくる煩悩のように感じます。

「しんどい」

「手が痛い」

「おなかがすいた」

「そういえばあいつが・・・」

「あんなことあったらどうしよう・・・」

草抜きだけに集中することはなかなか難しく、草抜きしかしていないからこそ、いろんな思いがふつふつとわいてきます。

 

過去を思い返したところで取り返すことはできず、未来のことを考えたって所詮それは妄想に過ぎません。

そんなことを考えて一喜一憂して、自分で自分を苦しめているのです。

雑草を一つ一つ丁寧に抜いていくように、心の煩悩を一つ一つきっちりと消し去っていくように、努力していかなければいけません。

 

しかし、それができないのが私たちです。そして、そんな私たちを救いとってくれるのが、阿弥陀仏です。

煩悩があると往生できないなんてことはありません。煩悩があるならあるで、この身このまま極楽浄土へと迎えてくれているのです。 

これは、努力することを否定するわけではありません。

ありがたい状況にいるからこそ、一つでも煩悩を消し去ることができるように、より一層努力していかなければいけないのです。

 

煩悩少なく生きることはとても難しいことです。でも、より有意義な生活を送るためには、できるだけ煩悩をなくしていくように努力していくことが大切なのです。