【平常心】ありのままの心と偏らないものの見方

平常心是道

いよいよ東京オリンピックが開幕されました。

コロナ禍で不安の募る中での開催となりましたが、選手の皆さんには十分に力を発揮していただき、素晴らしい大会になることを臨むと同時に、私たちもオリンピックで活躍する選手をしっかり応援していきたいと思います。

私も昔はスポーツをしたいたのでよくわかるのですが、大きな大会になればなるほど「平常心」が大切になってきます。

緊張でガチガチに凝り固まった身体では、100パーセントの力を発揮させることは難しいものです。

また反対に、気が緩みすぎでもいけません。

「本番は練習のように」と教わりましたが、練習のときと同じように、力みすぎず緩すぎず、適度にリラックスした状態で試合に臨むことは、とても大切なことです。

仏教の言葉で「平常心是道」という言葉があります。

「平常心」は「びょうじょうしん」と読むこともありますが、平常心こそ悟りへの道であるということです。

辞書を開いてみますと、「普段と変わらない心」と解説されています。

スポーツ選手が試合で平常心を保つということは、普段と変わらない心で挑むということになります。

ところが、仏教では少し意味が違ってきます。

仏教では「偏らない、ありのままの心」を意味します。

ものごとはすべて自分の心が作り出しています。

世の中の出来事は本来、いいも悪いもありませんが、出来事を受けて心が勝手にいいこととか悪いことだとか判断しているのです。

そして、いいことが起こればもっといいことが起こってほしいと願ってそれにとらわれ、悩み苦しむことになり、悪いことが起こればそこから離れたいと望んで苦しくなるのです。

例えば、宝くじが当たったとき、うれしいと思うでしょう。

それは、「宝くじが当たった」という出来事を受けて心が反応し「うれしい」という感情を生み出しているのです。

1万円当たって大喜びする人とそこまでうれしいとも思わない人がいるように、人それぞれで喜びの度合いが違うのは、自分自身の心がその感情を生み出しているからなのです。

また反対に、宝くじで大損したときも同じです。

泣くほど悔しい思いをする人となんとも思わない人がいるのは、「宝くじで大損した」という出来事を受けて生み出される感情が人それぞれ違うからなのです。

「平常心」はこのように外の出来事にまどわされることない、ありのままの心をいうのです。

いつまでたってもコロナ禍が収まらず、そんな中でオリンピックが開催され、メディアの情報も何が正しくて何が間違いかもわからない状況にあります。

私たちはそうした「メディア」という外の情報を受けて、それに対して自分の心が反応し、不安や怒りを生み出しているのです。

「平常心」でいるためには、ものごとを正しく見なければいけません。

ものごとを正しく見るというのは、自分の心を正しく見るということ。

自分の心を正しく見るということは、自分は間違ったものの見方や考え方をしているかも知らないことに気がつくことです。

「自分が正しい」と思って行動することは、自分の行動に凝り固まった考え方を持つことであり、偏った見方になります。

それは、他人を傷つける危険があるだけでなく、自分を苦しめることにもなります。

自分の意見を持つことも大切ですが、それにこだわることなく、いろんな方面からものごとを正しく捉えていくことが大切です。

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