「難行道と易行道」阿弥陀仏が導く極楽浄土の船の旅

叔父の一周忌に思う

私の父の故郷は福岡にあります。元々は在家で大工の家系でしたが、ご縁あって仏門に入り、遠く離れた和歌山県へ移り住みました。

幼い頃は、父の里帰りを兼ねて毎年のように家族で福岡へ旅行しました。祖母や叔父、従姉妹たちが温かく迎えてくれ、皆で過ごした楽しい時間は今も鮮明な思い出として心に残っています。

特に叔父は子煩悩で、甥である私たちをとても可愛がってくれました。ただ、口が悪く、皮肉めいた言い方で接することが多かったため、思春期には煩わしく感じることもありました。それでも、私たちを思う深い愛情はひしひしと感じていました。

その叔父が、昨年に亡くなりました。

数年前からガンを患っていたようですが、誰にも知らせず、一人隠れるように病気と闘っていたそうです。家族や親戚が知った時には、すでに手の施しようがない状態でした。そして、回復することなく、63歳でこの世を去りました。現代ではまだ早いと言える年齢ですが、今はただ、あの世でゆっくりと休んでほしいと願っています。

先日、叔父の一周忌の法要のため、福岡へ行ってきました。車に荷物を積み、大阪からフェリーに乗って福岡へと向かいます。夕方6時に出航し、約12時間かけて瀬戸内海を航行し、翌朝6時に福岡に到着する船旅です。

子どもの頃、家族で毎年こうしてフェリーに乗って福岡に行ったことを懐かしく思い出しながら、船上の時間を過ごしました。久しぶりの船旅でしたが、やはり船旅は良いものですね。

陸を離れ、日常から解放され、船だけの特別な時間が流れているように感じます。船上から見る景色、波の音、頬をなでる風、潮の香り……。身体で感じるすべてが心地よく、この時間がいつまでも続けばと願うほどでした。

ありがたいことに、約12時間の船旅のために、フェリーの中には休める部屋があり、食事が用意され、お風呂もあり、ゲームなどの娯楽施設まで整っています。さらに、寝ている間に目的地まで連れて行ってくれるのですから、なんとも楽な道中です。

ふと、この船旅の様子が阿弥陀仏の救いと重なるように感じました。

仏教の教えには、様々な修行の実践方法が説かれています。これらは、人々にとって実践が難しい「難行道」と、実践しやすい「易行道」に大別することができます。

インド出身の龍樹(りゅうじゅ)菩薩は、この仏教の修行を陸の旅と船の旅にたとえ、「陸道の歩行は則ち苦しく、水道の乗船は則ち楽しきがごとし」(陸を歩く旅は苦労が多いが、水路を船で進む旅は楽しい)と表現しました。

陸の旅は、何十キロ、何百キロもの道のりを自力で歩き進まねばならず、大変な苦労が伴います。対して船の旅は、船に乗っているだけで目的地まで運んでくれます。自分の歩く力は一切関係なく、たやすく目的地にたどり着くことができるのです。

お念仏の教えは、この船旅にたとえられます。

自分の力で一生懸命に修行するのではなく、阿弥陀仏にお任せし、阿弥陀仏の大きな力によって極楽浄土へと救い取っていただくのです。

また、浄土宗の西山(せいざん)上人は、 「我らは、常に沈み常に迷いの世界をさまよう悪人であるが、やがてその心の底に、我々を見捨てない仏の慈悲の万徳が満ち満ちている、と思う。そのあまりの嬉しさから『南無阿弥陀仏』と称えるのである」と説いています。

つまり、「南無阿弥陀仏」と念仏を称えることによって極楽浄土に生まれるのではなく、称える以前から阿弥陀仏の慈悲に満たされ、既に救われているという喜びから、自然と「南無阿弥陀仏」と口をついて出るのだ、ということです。

亡くなった叔父は、どちらかといえば信仰心が篤い方ではありませんでした。しかし、きっと阿弥陀仏が迎えに来てくださり、極楽浄土へと生まれ変わっていることでしょう。

いつかまた会えるその日まで、私もお念仏に励んでいきたいと思います。