除夜の鐘と煩悩
総持寺の門をくぐり、すぐ左手のところに、大きな鐘楼が建っています。
梵鐘には寛永15年(1638)の銘があり、ここからも長き歴史を感じさせます。
現在の本堂が建てられたのが安政6年(1859)と伝わっていますので、実は本堂よりもこちらの方が古く、境内の建物のなかでも最も古い建物であり、和歌山県の指定文化財にもなっています。
毎年、大晦日にはここで除夜の鐘をつきます。
日付が変わる少し前からお勤めをして、住職がまず一打。
そして続いて、お参りに来られた方々に、順番に打っていただきます。
鐘楼でのお勤めが終わると、その足で今度は本堂へ上がり、「修正会」が行われます。
新年が明けてはじめのお勤めです。
仏様に、また新しい年を無事に迎えることができた喜びを捧げ、同時にこの一年の平和と安寧を祈ります。
この時、除夜の鐘と修正会のお勤めは、同時進行で行われます。お参りに来られた際は、鐘をつくだけでなく、本堂に上がってお参りをしていただきたいと思います。
さて、除夜の鐘は108回打つといわれます。この数は煩悩の数であり、一打一打と鐘を打つことによってこれまでの煩悩を打ち消し、心新たに新年を迎えるという意味があります。
この108という数字。これは、インドでは「最上の数」といわれています。
つまり、数えることができないような、あるいは無限に続くような数をあえて数字に置き換えて表したときに、「108」という数字が使われるのだそうです。
私たちの煩悩も、108にとどまらず、限りがありません。無限に次から次へとあふれ出てきます。
この煩悩が、自分自身を苦しめているのです。
煩悩には大きく三つに分けられます。
「貪り」
「瞋り」
「愚痴」
貪りは、あれがほしいこれがほしいと、ものごとに執着すること。
瞋りは、腹をたてて気に入らないことに対して怒ること。
愚痴は、ものごとを正しく理解できない、無知のこと。
この三つが原因で、正しい判断ができず、わがままを通そうとして、自分の都合でものごとを考えて、結果として苦しみが生じることになるのです。
これらの煩悩を打ち消すことは容易ではありません。
しかし、一瞬でもそれらが消し去られたような感覚にいたることもあるのではないかと思うのです。
除夜の鐘は、一年に一度しか撞くことができません。
みなさんは、この一回に、どれほどの気持ちを込めておられるでしょうか。
無事に一年すごせてありがとうございました。
今年も一年元気でいられますように。
家族が笑顔でいられますように。
平和でありますように。
いろんな想いを込めて、大切に大切に、一打を打つのではないでしょうか。
そして、ゴーンと静かに響き渡った鐘の音が、心の中にも染みこんできたとき、あれがほしいという欲望も、これまで腹を立てていたことに対する怒りも、そのときばかりはすべて消え去ってしまっているのではないでしょうか。
私は、大晦日の時はいつもどこか不思議な感覚を覚えます。
年が変わるというたったそれだけのことなのに、肌にあたる夜風も、耳に聞こえる鐘の音も、火を焚く煙の香りも、すべてが味わい深いもののように感じるのです。
除夜の鐘その音の一つ一つには、やっぱり煩悩を打ち消すことのできる力があるのだろうと思うのです。
どうぞよいお年をお迎えください。