除夜の鐘と煩悩

総持寺鐘楼
総持寺の鐘楼。梵鐘は寛永15年(1638)のもので、文化財に指定されている。

除夜の鐘・修正会

12月31日
11時45分~ 除夜の鐘

1月1日
0時~ 修正会

ご参拝いただいた人みなさんに、鐘をついていただけます。

どうぞお参りください。

除夜の鐘に込められた祈り

総持寺の門をくぐってすぐ左手に、大きな鐘楼が建っています。梵鐘には寛永15年(1638)の銘があり、長い歴史を感じさせます。現在の本堂が建てられたのは安政6年(1859)と伝わっていますので、実は鐘楼の方が古く、境内で最も歴史ある建物です。和歌山県の指定文化財にもなっています。

毎年、大晦日にはここで除夜の鐘をつきます。日付が変わる少し前からお勤めを始め、住職がまず一打。そして、お参りに来られた方々に順番に打っていただきます。

鐘楼でのお勤めが終わると、本堂へ上がり「修正会」が行われます。新年最初のお勤めです。仏様に、また新しい年を無事に迎えることができた喜びを捧げ、この一年の平和と安寧を祈ります。除夜の鐘と修正会のお勤めは同時進行で行われますので、お参りに来られた際は、鐘をつくだけでなく、ぜひ本堂に上がってお参りください。

除夜の鐘は108回打つといわれます。この数は煩悩の数であり、一打ごとに煩悩を打ち消し、心新たに新年を迎えるという意味があります。

108という数字は、インドでは「最上の数」といわれています。数えきれないほど多い、あるいは無限に続くような数を、あえて数字で表すときに「108」が使われるのです。

私たちの煩悩も、108にとどまらず限りがありません。無限に次から次へとあふれ出てきます。そして、この煩悩が自分自身を苦しめているのです。

煩悩は大きく三つに分けられます。

貪りは、あれがほしい、これがほしいと、ものごとに執着すること。

瞋りは、腹を立てて気に入らないことに対して怒ること。

愚痴は、ものごとを正しく理解できない無知のこと。

この三つが原因で正しい判断ができず、わがままを通そうとして自分の都合でものごとを考え、結果として苦しみが生じるのです。

これらの煩悩を打ち消すことは容易ではありません。しかし、一瞬でもそれらが消し去られたような感覚に至ることもあるのではないでしょうか。

除夜の鐘は一年に一度しか撞くことができません。みなさんは、この一回にどれほどの気持ちを込めておられるでしょうか。

「無事に一年過ごせてありがとうございました」 「今年も一年元気でいられますように」 「家族が笑顔でいられますように」 「平和でありますように」

いろんな想いを込めて、大切に大切に一打を打つのではないでしょうか。

そして、ゴーンと静かに響き渡った鐘の音が心の中にも染み込んできたとき、あれがほしいという欲望も、これまで腹を立てていたことに対する怒りも、そのときばかりはすべて消え去ってしまっているのではないでしょうか。

私は大晦日の時、いつもどこか不思議な感覚を覚えます。年が変わるというたったそれだけのことなのに、肌にあたる夜風も、耳に聞こえる鐘の音も、火を焚く煙の香りも、すべてが味わい深いもののように感じるのです。

除夜の鐘、その音の一つ一つには、やはり煩悩を打ち消すことのできる力があるのだろうと思うのです。

どうぞよいお年をお迎えください。

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