すべて縁によってつながっている
深夜、突然のけたたましいアラームの音に起こされました。
何事かと思い体を起こしますと、外では防災無線が大きな声で放送しています。
聞けば津波注意報でありました。
寝ている間に地震でもあったのかと、慌ててテレビをつけて確認します。
どうやら、前日の午後に発生したトンガ諸島での大規模な火山の噴火の影響だということ。
恥ずかしながら、火山が噴火していたことを、そこで初めて知ったのであります。
テレビではどのチャンネルで臨時ニュースが放送されております。
つぎつぎと、津波到達の情報が入ってきます。
和歌山も、御坊で90センチ、続いて新宮でも津波到達したとの情報が入りました。
当寺がある場所は海からは少し離れておりますので、今回の津波では影響はないだろうと思いながらも、不安な夜を過ごしました。
幸い、和歌山では大きな被害もなくすんだのでありますが、高知などでは船が転覆するなどの被害があったそうです。
また、現場から近い国や地域では、火山の噴火や津波の影響があるようで、トンガでは通信手段が寸断されて、被害状況の把握が現時点では難しいといわれています。
皆さんの無事を、ただ祈るだけであります。
それにしても、トンガから日本まで、およそ8000キロの距離があるそうです。
とても遠く、日常においてはまったくといっていいほど関わることのない国であります。
火山の噴火も、他人事どころか、その出来事さえも知りませんでした。
そんな遠い異国の地の出来事が、まさか私自身にも影響されるとは思いもしませんでした。
改めて、私たちは地球という一つの星に住んでいて、地球上のすべての人との関係の上で自分が存在しているんだということに気づかされました。
仏教ではこれを縁といいます。
すべてのものごとは、それだけで存在することができず、周りのすべてとの関係の中でつながりをもって存在しているということであります。
しかもその縁は、どこでどのように関係し合っているかわかりません。
「風が吹けば桶屋が儲かる」ということばがあります。
あるできごとが発生すると、思いもよらないところに影響をあたえるという意味のことわざであります。
風が吹けば桶屋が儲かることにはちゃんと理由があるそうです。
風が吹けば土埃がまいます。土埃がまえば、それが目に入って失明する人が出てきます。
その昔、目の見えない人の仕事として、三味線を弾いて生計を立てることがその代表でありましたので、三味線が多く買われます。
すると、三味線を作るために、その材料として猫が捕られます。
猫が捕られるとネズミが増えます。
増えたネズミが桶をかじります。
結果として、桶屋が儲かるということだそうであります。
このように、ものごとのすべてにおいて原因と結果があり、縁によってつながっているのであります。
桶屋が儲かるにも、そこには必ず原因と結果があるというわけです。
先日こんな話を聞きました。
誰もが一度は食べたことがあるであろう「スナック菓子」
その多くに「パーム油」とよばれる植物由来の油が使われています。
この原材料となるアブラヤシをとるために、広範囲の熱帯林が伐採されているそうです。
結果として、温室効果ガスを増やすことになったり、生態系を破壊したり、気候変動を起こしたりしているといわれています。
つまり、スナック菓子を食べることが、地球温暖化につながっているとかんがえられているということであります。
ひとりの人間の一つの行動が、少なからず地球規模で影響を及ぼしているということであります。
また逆もしかりであります。
どこか遠くでおこった火山の噴火が、たった私というひとりの人間に影響をあたえているのであります。
この世界はすべてにおいて、縁によってつながっていることをつくづく感じるのであります。
お釈迦様は、すべての人、すべての生き物に対して、慈しみの心を持つようにと教えられました。
他者とのつながりの中でしか生きることのできない私です。
他者の幸せが、自分の幸せにつながると考えていたのであります。
目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでもすでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。
ブッダのことば スッタニパータ (ワイド版岩波文庫) [ 中村元(インド哲学) ]
これは「慈しみの経」の中の一文でありますが、タイやスリランカなどの東南アジアでは、これを原文のパーリ語で称え、生きとし生けるものの幸せを願っているのであります。
また、私たちが毎朝称えるお経の中で、祝聖文という偈文があります。
これは「無量寿経」というお経の中の一文であります。
天下和順し、日月清明にして、風雨時を以てし、災厲起こらず、国豊かにして民安く、兵戈用いることなく、徳を崇め仁を興し、努めて礼譲を修す
「無量寿経」
世の中が平和におさまり、太陽も月も清く輝き、風も雨もほどよく吹き、災害や疫病もおこらず、国は豊かで人々は安らかに暮らし、武器を持って争うこともなく、徳を尊び、思いやりの心をもって、お互いに礼儀を重んじて譲り合うことができることを、願うのであります。
かの宮沢賢治は
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
宮沢賢治
ということばを残しております。
すべてのものごとの関係の中でしか生きることができない私たちは、自分の幸せだけを願っていても、本当の幸せにはなれないのであります。
他人の幸せが自分の幸せにつながる。
また反対に、自分の幸せが他人の幸せにつながる。
私たちはそのような縁によってつながっているのであります。
私のちょっとした善いことが、世界の誰かの役に立っている。
そう信じて、正しく生きていきたいものであります。