無条件かつ無限の愛
お寺には、たくさんのお供え物があがります。
和菓子や洋菓子、果物、野菜、海苔、洗剤、地域の名産など、その種類は様々です。
お参りに来られた方と話しをしていると、「これは故人が好きだったモノで・・・」と言ってお供えされる方もおられます。
そんな話しを聞くと、お供え物の数だけ、お供えする人の気持ちが、そこには含まれているんだということに、改めて気づかされます。
お寺に上がったお供え物は、お寺の関係者でいただくこともあれば、檀家さんやご近所の人たちに配ることもあります。
ときどき一般のご家庭で、お仏壇にお供えされた物は、仏さまにお供えした物だから自分たちは食べないのだと言って、ある程度お供えをするとそのまま処分してしまうという話を聞きます。
そのお気持ちはとても尊いものであります。
しかし、お供えした物をおさがりとして食べることも、また供養になります。
当寺では、できるだけ処分することのないように、いただくようにしています。
お供え物の定番といえば和菓子でありますが、子どもの頃はあんこが苦手だったので、おさがりがたくさんあってもあまり食べなかったように思います。
それが不思議なもので、今ではあんこのおいしさがわかるような気がいたします。
和菓子に欠かせないあんこでありますが、近年これが見直されて、静かなブームになっているそうであります。
あんこは、低糖質で食物繊維が多いので、ダイエット中でも抵抗なく食べられます。
また、乳製品やパン類、果物など多くの食品と合わせることができるので、その汎用性の高さからスイーツなどとのコラボレーションも多くなってきています。
見た目にも「かわいさ」があるそうで、いわゆるSNS映えにも一役買っているといわれています。
調べてみますと、「日本あんこ協会」なるものがあるそうです。
協会の検定に合格すると、あんこの「あん」と「大使」を意味する「アンバサダー」を会わせた、「あんバサダー」という称号をえることができ、あんバサダーとよばれる会員は8000人をこえるといわれています。
ホームページを見てみますと、日本あんこ協会とは、「あんこの愛好家だけで構成されるあんこ好きのための協会団体」とされています。
そして、ミッションとして「あんこを通じて世界平和を実現する」とあります。
さらに続けて、このようなことが書かれていました。
人は自分自身に向けられた無条件かつ無限の愛を感じることができた時、何にでも挑戦でき、どこにでも行ける餡心を得ることができます。
これから何が起こるかわからない人生においても、いつでも餡心していられることで笑顔が生まれ、きっと大丈夫と思えることで未来に希望がもてます。
世界中の人たちがそんな気持ちでいられる状態こそ、世界平和そのものだと私たちは考えます。
日本あんこ協会HP
思わず、クスッと笑ってしまいました。
「安心」ならぬ「餡心」であります。
「あんこを通じて世界平和を実現する」とは、一見大それたことのように思いますが、まんじゅうを食べて喜ぶ子どもを見ると、あんこが世界の平和に通じることがあるのも、わかるような気がいたします。
また私は、「人は自分自身に向けられた無条件かつ無限の愛を感じることができた時、何にでも挑戦でき、どこにでも行ける餡心を得ることができます。」という言葉に、仏に通じるものを感じました。
仏教では「安心」と書いて「あんじん」と読みます。
「自分自身に向けられた無条件かつ無限の愛」とは、まるで阿弥陀仏のお慈悲であります。
阿弥陀仏は、私たちを救おうと無限の力を働かせてくれています。
それは私たちに量ることのできない力であります。
量ることができないので「無量」といい、これをインドの言葉で「アミタ」といいます。
阿弥陀仏は、量ることのできない力を持つ仏なのであります。
この、量ることのできない慈悲の力によって、私たちは必ず救われるのであります。
分け隔てすることなく、無条件で私を救ってくださる阿弥陀仏の慈悲の心に気づいたとき、その喜びの心を「あんじん」といいます。
この心があるから、私たちは安らかな日常を送り、あるいは活気ある生きがいをもった生活をすることができるのであります。
ところが、自分自身に向けられた無条件かつ無限の愛、また仏の慈悲を感じるというのは、難しいものです。
いつでもどこでも、それをいただいているのにも関わらず、それに気づいていないのが私たちです。
古い歌に
「気がつけばご恩を受けし人ばかり」
という歌があります。
あとになって振り返ったときに、ようやくご恩を受けていたということに気がつくのであります。
今、無条件かつ無限の愛が自分に向けられていることを自覚し、その喜びを生きる力に変えていきたいものであります。