懺悔することの大切さ

懺悔することの大切さ

懺悔することの大切さ

仏門に入るとき、出家在家ともにまず「懺悔」をします。

これまでの自分自身の罪を悔い改めるのであります。

西山上人は、「懺悔とは罪を罪と知り悔い返す心なり」といいました。

人間とはわがままなものであります。

自分が正しいと思い、相手を傷つけても謝るどころか、その事実を知ろうともしません。

欲望のままに行動し、その罪によって自らを傷つけて苦しみにいたっているのであります。

お釈迦様は、生きることは苦しみであるといいました。

苦しみの原因はどこにあるのでしょうか。

それは、自分にあるのです。

自分の中にある、貪り、怒り、愚痴の煩悩に惑わされ、罪を罪と知ることもなく罪を作り続け、その結果苦しみの世界をさ迷い続けているのであります。

中外日報に「私の法話」というコーナーがあります。

各宗派の僧侶による短い法話ですが、いつも楽しみに読ませていただいています。

その最後に、一言ポイントとして、僧侶が法話をしていくためのポイントも付け加えられています。

法話の内容もわかりやすく、さらには法話をする時に抑えるべきポイントも捉えてくれているので、私のような若手の僧侶には大変勉強になります。

9月7日付けの中外日報の「私の法話」には、西山浄土宗の僧侶である橋本随彰さんの記事が掲載されていました。

橋本さんはみなべ町極楽寺の住職であり、現在は西山浄土宗布教師会会長として活躍されております。

宗門の布教師を牽引されている方で、私も何度もお話を聞かせていただいておりますが、いつもわかりやすく味わい深い法話をしてくださります。

記事では「懺悔」をキーワードに、やさしい法話をしてくださっています。

紹介させていただきます。冒頭には、

「イスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏は「私たちがコロナ禍で直面している危機はウイルスではなく、人間が内に抱えている魔物たち、憎悪と強欲と無知だ」と述べています。私はこの指摘を「三毒の煩悩、貪欲・瞋恚・愚痴をみつめていきなさい」とのメッセージだと受け止めました」

とあります。

仏教の言葉は、そのまま聞くと難しく感じるものが多いように思います。

貪欲・瞋恚・愚痴のみっつの煩悩を、ユヴァル・ノア・ハラリ氏の言葉を用いて「憎悪・強欲・無知」と受け取ったのであります。

言い方を変えると、これほどわかりやすいものかと、関心をいたしました。

そして、華厳経の一節を紹介しています。

我昔所造諸悪業 
皆由無始貪瞋痴 
従身語意之所生 
一切我今皆懺悔

我れ昔より造る所の諸の悪業は、皆な無始の貪・瞋・痴に由り、身・語・意より生ずる所なり。一切を我れ今皆な懺悔す。

「私たちが生まれる以前の遠い昔から途切れることの無いつながりとご縁で、私たちは生かされています。どこかで途切れていたら、私たちはここにおらず、出会えなかったのです。」

この言葉を読むと、頂いたご縁は、こんにち頂いたものだけでなく、遙か昔のご先祖様から頂いたものであり、目の前の一瞬の裏には量り知れない時間の蓄積があることを思わせてくれます。

そして、この不思議な命のつながりとともに、「三毒の煩悩」も一緒に受け継いでいるといいます。

「人間は三毒の煩悩が根本原因となり、「身・語・意」でさまざまな悪業を犯し、知らぬ間に周りに迷惑をかけています。先ほどの華厳経の一節には「これら一切を懺悔しなさい」とあります。こんな愚かなわがまま者の私が、大きなお慈悲の中に包まれ、戦争の無い平和な日本の中で生活させていただいていたのです。」

と、懺悔の大切さを説かれています。

橋本さんは記事の中で、「三毒の煩悩がいっぺんに噴出したのが、ロシアのウクライナ侵攻だったと思います」といいます。

不安に駆られて領土を奪おうという貪りが湧き起こり、このような事態に陥ってしまったのであります。

愚かでわがままな私たちは、自分が一番正しいと思って行動しています。

きっとロシアのプーチン大統領も、自分が一番正しいと思って行動しているでありましょう。

だからこそ、常に懺悔の心をもって、自分自身の心を見返し、悔い返す必要があるのではないでしょうか。

そして、

「現代のキーワードは「懺悔」だと思います。ありがたいことやなあ・・・と思い抱くことで、自分のできることを精一杯させていただこうと積極的な行動に立ち働くことができる」

としています。

なるほど、と思いました。

近年、自分の意見をしっかり持つように求められますが、同時に自分の間違いを認めない、あるいは他者の意見を受け入れないという風潮が目立つように思います。

かたくなに自分の意見を貫き通すことは、気をつけなければ争いのもとになってしまいます。

自分の間違いを認め「懺悔」することは、同時に相手の意見を受けれることにもなるのです。

それが自分の心を育み、人として積極的な良い行動に変わるのであります。

そして記事の最後に

「安心ー起行」「信仰ー実践」という西山浄土宗の肝心要の教義を紹介されました。

安心とは信仰のこと、起行とは実践のことです。

三毒の煩悩にまみれ常に罪を作り続けている私たちが救われるためには、阿弥陀仏にすがるしかありません。

こんな私でも、必ず阿弥陀仏が救ってくださるという喜びの心が「安心」であり、「信仰」であります。

そして、その喜びから、できることを精一杯させていただこうという積極的な行動が「起行」「実践」であります。

人間としてよりよい生き方をしていくためには、まず懺悔から。

罪を罪と知って悔い返すことから始めていくのであります。

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