永遠に生きること
阿弥陀仏のことを「無量寿仏」といいます。
量り知れない命を持つ仏という意味であります。
阿弥陀仏は修行の末に、過去から未来にわたって永遠に衆生を救うことができる仏となりました。
その功徳によって、私たちも極楽浄土に生まれて、無量の命を頂くことができるといわれているのです。
人の命には限りがあります。
昔は50年といわれていた一生が、いまでは100年の時代になりました。
しかし、所詮は100年程度の命であります。
たった100年しか生きることができない私たちにとって、無量の命はあこがれであります。
永遠に生き続けるには、念仏によって極楽浄土に生まれるしか方法はないのであります。
と、思っていました。
ところがよく考えてみますと、この世にも永遠に生き続けることができるのではないかと思うのであります。
少し前のことでありますが、ある30代の方がお亡くなりになりました。
両親をおいて先に、若くして亡くなられたのであります。
お葬式を済ませ、その後もお参りをしていると、その中でご両親がこんなお話をしてくださりました。
「親を置いて先に子どもに死なれるのは本当につらく、さみしい」
としながらも、
「それでも、思い出すのは子どもの笑顔。いつも私たちに笑いかけてくれているんだと思うと、私たちも頑張らないといけないと思う」
そして
「いままでは親子別々で暮らしていたけれども、形は違えどこれからは一緒に暮らしていける。お仏壇の前に座ればいつでも会えるし、話もできる」
と言うのであります。
この言葉に私は心を打たれました。
子どもに先立たれて悲しいはずなのに、気持ちは前を向いているのであります。
ご両親の心の強さに感銘を受けました。
そして、その心の中には、亡くなった子どもがいつまでも生き続けているんだと思いました。
人は死んでからも、生き続けることができるということを、改めて感じさせられたのであります。
先日、9月22日付けの産経新聞「朝晴れエッセー」にも、心打たれるものがありました。
全文を紹介いたします。
先日、鹿児島の姉からラインで写真が届いた。聞くと、なんとそれは七十数年前のセピア色の家族写真だ。2歳の私は20代の若い母の膝に抱かれて椅子に座り、両隣に5歳の兄(あん)ちゃんと4歳の姉が立っている。母は白いブラウスに花柄のスカート、兄ちゃんは白いシャツに半ズボン、姉と私は白い襟の花模様のワンピース姿だ。戦後2年余りの貧しい頃にこんなにおしゃれして、しかも写真館で撮った家族写真だ。
幼い頃にこの写真を見た記憶はあったが、歳月が流れその存在すら忘れていたときに届いた写真。古い写真を整理していたという姉からの送信だ。この写真撮影の後に妹が3人生まれ、私たちは5人姉妹になったが、後にも先にも家族写真はこれ1枚だ。
兄ちゃんとの思い出は魚釣りやセミ取りに行ったことだ。妹思いの優しい兄ちゃんだった。だが、その兄ちゃんは小学4年生のときに病気で死んでしまった。6歳の私は病気を理解することはできなかったと思うが、秋頃から体調を崩し、正月を過ぎるとどんどん弱っていった兄ちゃん。往診の先生との話で涙を流していた母の姿が浮かぶ。
「母ちゃん、ぼくなおるの」「大丈夫だよ、よくなるよ」。何回か聞いた会話。でもみんなの願いは届かなかった。冷たいみぞれの降る寒い冬の朝、兄ちゃんは旅立った。わずか10歳で天国にいった小さな命。まだ1年生の私はその重大さをどう受け止めたのか定かではない。
スマホの中の写真を指で広げ5歳の兄ちゃんに呼びかける。どっと涙があふれた。
蔵屋恵美子(76) 東京都足立区
9月22日産経新聞「朝晴れエッセー」
筆者の、兄ちゃんを思う心がよく伝わってくるように思います。
昔のできごとが、単なる過去のことではなく、消えることのない大切な気持ちとして残されているような気がいたします。
それは、兄ちゃんが今もなお、心のなかで生き続けているからに他ならないのではないでしょうか。
私たちは死んでから極楽浄土に生まれます。
そして、永遠の命である無量寿を持つ仏である阿弥陀仏のもとに生まれ、同じくその功徳を頂いて永遠に生き続けるとされています。
総本山光明寺69世関本諦承上人は
「み仏の光りにわれは導かれ永遠(とわ)に生きぬく国にゆくなり」
と歌を残しておられます。
私は、これまで、永遠に生きるということに違和感がありました。
永遠に生き続けるといわれても、実際に亡くなった人と直接出会い、話しをすることができません。
残された人と会うことができなければ、虚しいだけではないかと思っていたのです。
しかし、肉体はほろんでも、心は永遠に生き続けるのではないでしょうか。
目を閉じれば、在りし日の姿が目に浮かぶのは、その人の心で生き続けている証だと思うのであります。