お寺の掲示板『出会いは不思議さのありがたさ』

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コロナ禍といわれるようになって、3年近く経ちました。

まだまだ新型コロナウイルスの感染拡大がおさまりませんが、一時期のことを思うと全体的に落ち着きを取り戻してきているようにも思います。

行事やイベントなども行われるようになり、感染対策をしながらでも活気を取り戻してきているのではないでしょうか。

仏教では、思い通りにならないことを「苦」といいます。

年を取ること、病気になること、そして死んでいくことは、誰にも避けることができず、自分の思い通りにコントロールすることができないものであります。

同じように、生きることそのものも自分の思い通りにはいきません。

今まで平穏無事に生活していたところが、コロナ禍で一気にその環境が変わり、生きることそのものが苦しくつらいものとして、まさに自分の身に降りかかってきたのです。

思い通りにいかない現実を、つくづく痛感させられたのであります。

それと同時に、人との関わりの大切さに改めて気づかされました。

学校は休校になり、会社はテレワークになって自宅で仕事をするようになり、買い物はインターネットで注文し、家族でも必要以上の会話はしないようになりました。

ひとりでいる時間が多くなり、他人との会話がめっきりなくなってしまいました。

一日中、誰とも話をしなければ、心理的にもその影響があらわれるそうです。

社会から切り離されてしまったような感覚になり、孤独を感じ、そこから不安が生じ、自己喪失感があらわれたり、生きがいを感じられなくなったりするといいます。

会話をしない期間が長くなればなるほどその影響は深刻化し、鬱などの心の病気にも発展しかねないといわれています。

ほんの些細な挨拶や何気ない会話などが、どれほど生きる力の支えになっていたことでしょうか。

総持寺の前住職である畑崎龍定上人は、「人と人をつなぐ不思議な力のことを縁というのだ」とよく話をされていました。

縁とは不思議な力のことなので、それ自体を見ることはできません。

しかし、コロナ禍で人とのつながりの大切さに改めて気づかされました。

コロナ禍で切れてしまったつながりもあるかもしれませんが、また新しく見つけたつながりもあります。

そのつながりこそ、まぎれもない「縁」なのです。

縁という不思議な力は、人を通して感じることができるものだと思います。

人との出会いは本当に不思議であり、ありがたいものであると、つくづく感じたのであります。

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