皆人を捨ぬ誓ひの渡し舟乗しらぬ身もとまるへきかな

皆人を捨ぬ誓ひの渡し舟乗しらぬ身もとまるへきかな

福岡県北九州市の小倉にて、布教師の総会があったので、先日行って参りました。

JR和歌山駅から電車と新幹線を乗り継いで、小倉駅まで、およそ4時間かかります。

久しぶりの遠出でありました。

これまで毎年、各地方もちまわりで総会が開催されていましたが、新型コロナウイルスの影響により、今回は3年ぶりの開催となりました。

1泊2日で研修会を兼ねて行われるので、充実した2日間を過ごしました。

2日目の研修はフィールドワークがあり、小倉城を散策いたしました。

小倉城は、戦国末期に中国地方の毛利氏が現在の地に城を築いたことに始まります。

その後、関ヶ原の合戦の功績によって入国した細川忠興によって、1602年に本格的に城が築かれました。

細川忠興は城下町を繁栄させる政策として、諸国の商人や職人を集めて商工業保護政策を実施し、外国貿易も盛んにしました。

同時に、祇園祭も誕生させました。

細川氏が熊本へと移ったあと、細川家と婚姻関係のあった小笠原忠真が、1632年に入国しました。

小倉は九州各地に通じる道の起点として、重要な地位を確立していました。

そのため、小倉・小笠原藩は、将軍である徳川家光から九州諸大名監視という特命を受けていました。

小倉城は一層充実し、城下町も繁栄していったといわれています。

しかし、1837年に城内から発生した火災によって全焼、2年後に再建されましたが、その時には天守閣は再建されませんでした。

明治時代には小倉城に陸軍の拠点が置かれましたが、太平洋戦争後にアメリカに接収されました。

接収解除後、1959年に市民の熱望によって天守閣が再建されました。

天守閣は「唐造りの天守」とよばれるそうで、4階と5階の間に屋根のひさしがなく、5階が4階よりも大きくなっているのが特徴であるとされています。

平成31年3月に、展示内容と内装がやく30年ぶりにリニューアルし、「体験型観光スポット」として生まれ変わりました。

小倉城の歴史を凝縮した映像を見ることができるシアターや、武将のリアルなフィギュア、流鏑馬の体験ゲームなど、五観を通して小倉城を体感できる展示がされています。

また、小笠原氏の別邸があった下屋敷跡を復元した大名の庭園と典型的な江戸時代の武家の書院を再現した小倉城庭園もあります。

半日では時間が足りないくらいで、有意義な時間を過ごさせていただきました。

城内の展示の中に、小笠原忠真による和歌が展示されていました。

「皆人を捨ぬ誓ひの渡し舟乗しらぬ身もとまるへきかな」

この和歌の、「皆人」とは小倉藩の家臣や小倉藩にすむ人々のこと、渡し舟は忠真自身のことをあらわしているといいます。

忠真は晩年、黄檗宗に帰依して中国からやってきた僧侶を開山として現在の小倉北区に福聚寺を創建しました。

仏教を信奉する心があつかったのであります。

和歌の解説にはこのように書いてありました。

「万人を見捨てずに(極楽浄土へ)渡すと誓った渡し舟(私=忠真)だが、(その渡し舟を)どう乗りこなせばよいか知らない身の私でも(舟は)泊まるだろうか」

藩主としてよりよい町を作り人々を幸せに導いていこうとする中で、その思いを極楽浄土を思う心と重ね合わせて見ていたのであります。

しかし小笠原忠真の歌には、人々を救いたいと願う心と同時に「乗しらぬ身もとまるへきかな」といって、どう乗りこなせばよいか、そんな自分にも舟は泊まるのかと、どのように行動すればいいのかという心の葛藤も読まれています。

藩主としての責任とその重荷を背負っていたのでありましょう。

西山上人は

「たまたま、かかる機を渡し給う大慈大悲の忝なさよとお思えば、我等は常没常流転の悪ながら、やがてその心の底に、是をすてたまわぬ仏の慈悲の万徳が充ち満ちたりけるよと思う故に、あまりの嬉しさに南無阿弥陀仏と称うるなり」

と言葉を残しています。

私を極楽浄土へと渡すのは、自分の力ではなく、阿弥陀仏の大慈悲であります。

自分の力ではどうすることもできない悪人でありながら、この私を救ってくれる阿弥陀仏の大慈悲の心を知ることで、あまりの嬉しさから南無阿弥陀仏と念仏がこぼれて出てくるのであります。

南無阿弥陀仏の南無とは帰命、帰依のことで、いいかえると「おまかせする」ということです。

私たち凡夫は、この身このまま阿弥陀仏にお任せをするしかないのであります。

以前、行事のリーダーを任されたとき、その責任からプレッシャーに押しつぶされそうになった時がありました。

前もって準備をし、打ち合わせを何度も重ねて、確認に確認をしながら進めているにもかかわらず、本番が近くなればなるほど不安がつのる一方でした。

そんななかで、京都の本山である光明寺で研修会があり、参加したときのことです。

朝の法要で大きな声を出してお勤めし、一生懸命にお念仏をしていると、それまで感じていた不安がフッと消えて心が軽くなったのであります。

心の中にはなんとも言えない心地よさが広がった気がいたしました。

もしかしたら、これが仏に「おまかせ」をした結果なのかもしれないと感じたのでありした。

念仏によって自分の仕事量が減ったわけでもないし、行事の責任が別の誰かにいくわけでもありません。

仏にまかせて自分の手から離れていったのは、どうにもならない不安や悩みなどの私の心です。

きっとその心地に、救いがあるのではないかと思ったのであります。

小笠原忠真の歌を詠みながら、そんな当時のことを思い返しました。

あらためて、その嬉しさから南無阿弥陀仏とお念仏がこぼれたのでありました。

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