お盆になるとよく聞く「施餓鬼」
ところでたくさんのお坊さんが集まり、ご飯や野菜などたくさんの食べ物をお供えしてご先祖様の供養をしますが、そもそも施餓鬼とは何なのでしょうか。
わかりやすく紹介します。
施餓鬼とは?
施餓鬼は、「餓鬼」に「施す」と書くように、輪廻の世界にある「餓鬼道」に落ちた人々を、その苦しみから救うために行われる法要です。
餓鬼道に落ちた人々のことを「餓鬼」といいます。この世界では、食べ物や飲み物などを一切口にすることができません。水を飲みたくても、口元まで持ってくると水が火に変わり、飲めなくなるのです。
このような餓鬼道に落ちた人々は、生前には食べ物の罪を犯したとされています。他人に食べ物を分け与えることなく独り占めするような人が、餓鬼道に落ちるといわれています。
食べ物どころか水さえ飲むことのかなわない餓鬼になった人々に対して、食べ物を施し供養する法要を、施餓鬼会といいます。
施餓鬼の由来
施餓鬼は「救抜焔口餓鬼陀羅尼経(くばつえんくがきだらにきょう)」というお経がもとになっています。
お釈迦様の弟子に阿難(あなん)という人がいました。
ある日、阿難の前に口から火を吹く餓鬼が現れました。そして、その餓鬼が阿難に言いました。
「おまえは後三日で命がつきる」
それを聞いて阿難が驚きました。
「どうすれば命ながらえることができるでしょうか?」
「餓鬼道にいるすべての餓鬼に食べ物や飲み物を施し、三宝を供養すれば、命ながらえることができるだろう」
これを聞いた阿難は、慌ててお釈迦様の元に向かいました。
「お釈迦様、私の前に餓鬼が現れ、このように言いました。おまえの命は後三日である、餓鬼道にいるすべての餓鬼に食べ物や飲み物を施すことができれば、命ながらえることができると。お釈迦様、私はどうすればいいのでしょうか?」
するとお釈迦様は、
「すべての餓鬼に食べ物飲み物を施す方法を教えよう」
そう言って、すべての餓鬼に施しをする方法を説かれました。
阿難はその方法に基づいて供養をし、長寿を得て苦しみから解放されたのです。
施餓鬼の功徳
お釈迦様の弟子の阿難さんは、教えに基づいて修法を実践することによって、長寿を得ました。
そのように、現代においても施餓鬼を勤めることによって、その者は法要を勤める功徳によって長生きすることができるとされています。
施餓鬼は縁のある人だけでなく縁のない人に対しても食べ物飲み物を施して供養をします。また、多くのお寺ではたくさんのお坊さんが集まって、時間をかけてみんなで法要を行います。それくらい施餓鬼という法要は大きな法要で、大切で重要な法要です。
このようにして、みんなで有縁無縁の多くの人々に施しをすることは、とてもとても大きな善行になります。いいことをすればいいことが返ってくるといわれるように、施餓鬼という素晴らしい行いをすることによってその功徳が自分にかえってくるのです。
施餓鬼とお盆の関係
施餓鬼は特に決められた日にちはありません。
お盆に行うところが多いように思いますが、必ずしもお盆に行うわけではなく、お彼岸に合わせてするところや、それ以外の日にちで行っているところもあります。
「施餓鬼」の由来と「お盆」の由来が、どちらも「餓鬼」にあるところから、混同されることが多いように思いますが、厳密には全く別の行事です。
とはいえ、お盆にあわせて七月や八月に施餓鬼を行うところが多いように思います。
施餓鬼はとても大切な法要
施餓鬼は単なる先祖供養の法要ではありません。
ご先祖様だけでなく、餓鬼道に落ちで苦しんでいる人々、自分に縁のある人もない人、すべての人々に対して食べ物や飲み物を施して供養をするのです。
日常の中において、私たちは自分自身が生きることに精一杯で、自分一人がご飯を食べていくことに精一杯です。家族ならともかく、赤の他人にまでご飯の面倒を見る余裕なんてあるはずがありません。
しかし、そんな私達にとってこの施餓鬼という法要は、お経の力によってほんのわずかなご飯や野菜などの食べ物でさえ、すべての人々に行き渡らせることができるのです。
自分に直接関係のないたくさんの人に対して食べ物を分け与えるという、日常の中ではできないことをこの法要の中ですることによって、大きな功徳を得ることができるのです。
自分のご先祖様だけでなく、たくさんの人たちのことを思いながら、施餓鬼に参加していただきたいと思います。