真面目な人がバカを見る?
こんなお話があります。
お釈迦様が在世のころのことであります。
二人の男が、大勢の仲間ともにお釈迦様のお説法を聞きに行きました。
一人の男はお釈迦様の教えを聞き、その結果として預流果という悟りの境地を得ました。
もう一人はスリの男でありました。
話も聞かず、カモになる相手を探しています。
そして、ある者の懐のなかからお金をいくらか盗んでしましました。
その夜、スリを働いた男の家では、そのお金でお腹いっぱい食事をすることができました。
反対に法を聞いた男の家では、満足のいく食事を取ることができませんでした。
それを見たスリの男は「おまえは真面目すぎるから、自分の家で食べる金も作ることができないのだ」
と笑ったのであります。
言われた男は、このできごとをお釈迦様に報告しました。
するとお釈迦様が言いました。
「もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ、愚者だと言われる。」
この言葉を聞いた人々は、預流果という悟りの境地に至ったというのであります。
さて、自分自身はこのふたりのうち、どちらでしょうか。
食べていくために悪事にも手を染める人なのか、食べることができなくても真面目に働くか。
たとえば、公私をはっきりわけて一円単位でしっかりと収支を計算し、きっちり税金を納めるか。それとも、私的なことでも会社の経費で精算し、法律の抜け穴を探して税金対策して少なく納めるか。
どちらが賢いのでしょうか。
数年前、新型コロナが突如として蔓延して非常事態宣言が発令されました。
外出ができず、仕事ができず、自粛自粛で息苦しい思いをしたのはまだまだ記憶にあたらしいことです。
国からの指示で営業自粛をして、経営難に至ってしまったことで閉店してしまうお店が増えました。
一方、国からの指示を無視してお店を通常通り営業して、大きく儲けを出したお店もあるようです。
まさに「真面目な人がバカを見る」とはこのことかと感じたものであります。
一般社会では、要領よく周りに取り繕ってうまく立ち回っている人ほうが、成功者に見えるかもしれません。
規則にのっとって行動しているだけでは、損を見るということも多いことだと思います。
しかし、仏教では自分で行った報いは自分に返ってくると考えています。
要領をかまして適当なことをやっていると、そのときは満足を感じるかもしれませんが、やがてその報いは必ず自分に返ってくるのです。
反対に真面目にやっていれば、そのときは思うようにいかなかったとしても、必ずいつかその努力は報われるのであります。
規則の抜け道を探しながら、隠れてコソコソ悪いことして、一時のしあわせを得るのがいいのか。
真面目にこつこつと努力して、悟りという真の幸福をつかみとるのがいいか。
よくよく考えて行動していかなければいけません。