貴いのは足の裏である

貴いのは足の裏である

先日、夕飯を食べ終わって片付けをしていたときのことです。

食べたの食器を流しに運んでは洗い、洗えばまた食器を運びと、台所をパタパタと動き回っておりました。

すると、むにゅっと足の裏に柔らかい感触が感じられました。

何を踏んだのかを考えるまでもなく、ご飯粒でありました。

いつどのタイミングで落としたのでしょうか。

足で踏んづけてはもう食べることもできません。

ゴミに捨ててしまおうと、べったりと付いたご飯粒を取るために足の裏を見た時、思わず顔をしかめてしまいました。

なんと足の裏が真っ黒ではありませんか。

いつどこで、こんなに汚れてしまったのでありましょう。

ひと通り洗い物を終えたあと、すぐさま私は風呂へ行きました。

いつもは気にしない場所でありますが、その日は念入りに洗ったのであります。

きれいになった足の裏を見て、心なしかホッと安堵の息をついたのでありました。

改めて足の裏を見てみると、思いのほか乾燥していてカサカサになり、かかとの皮はごつごつしています。

せっかくきれいに洗った足の裏も、風呂から上がればまたすぐに汚れるでありましょう。

坂村真民さんの詩に、「貴いのは足の裏である」という詩があります。

尊いのは足の裏である

尊いのは 頭でなく手でなく足の裏である

生人に知られずに一生きたない処と接し

黙々としてその勤めを果たしてゆく足の裏的な仕事

足の裏が教えるもの

しんみんよ

足の裏的な仕事をし

足の裏的な人間になれ

頭から光が出る

まだまだだめ

額から光が出る

まだまだいかん

足の裏から光が出る そのような方こそ

本当に偉い人間である

坂村真民「貴いのは足の裏である」

SNSが発達したことによって、自分の行いを不特定多数の人に知ってもらう機会が格段に増えました。

今まで一部の人しか知らなかったことも、SNSを通して一気に全国に知られるようになりました。

するとどうでしょう。

それを見た人が、「自分もみんなに知ってもらいたい」「自分も有名人になりたい」と思う人が多くなってきました。

いわゆる「フォロワー」がたくさんいる「インフルエンサー」であります。

それ自体をどうこういうわけではありません。

ただ、注目を集めるために過激な行動や発言をして、周りに迷惑をかけてしまっている、「炎上」している人がとても増えてしまったように思います。

自分のことと重ね合わせて、改めて考えさせられます。

有名になる必要があるのか?

表舞台に出る必要などないのではないでしょうか。

足の裏のように、見えないところでも、しっかりと自分の役割を果たしていく。

これこそ、本当に大切な事なのではないかと思うのであります。

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