「施す者は天に生まれ、受くる者は獄に入る」

「施す者は天に生まれ、受くる者は獄に入る」
画像:重要文化財「伝教大師(最澄)座像」

「施す者は天に生まれ、受くる者は獄に入る」

天台宗の祖である最澄は比叡山で12年の籠山行を行うにあたって、願を起しました。

自分がこれから修行するにあたって、なぜ修行をするのか、どのように修行をしていくのか、修行をしてどうしたいかなどについて、誓いを立てたのです。

これから始めようとする厳しい修行に取り組んでいくために、その明確な目標を決めることで、ただひたすらにその道を進んでいくことができるのです。

最澄が誓いを立てた文章「願文」には、大きく5つの誓いが記されています。

  1. 清らかな身になるまで、他人を導かない
  2. 真理の心を得るまでは、世俗の才芸には関わらない
  3. 戒をしっかり守れるまで、施主の法会には参加しない
  4. とらわれない空の心、般若の心を悟るまでは、世俗の生業や人付き合いには関わらない
  5. 修行で得た功徳は自分だけのものにせず、全ての者に回らせて、皆が悟りに至るようにする

そしてこの五ヶ条に続いて、願わくはさとりの喜びを自分だけのものにせず、他の者と一緒に味わっていこうといいます。

最澄は、自分のためだけではなく、世の人々の幸せのために修行をしていくことを誓ったのであります。

こうした願いが込められた「願文」の中に、「未曾有因縁経」というお経の中にある文を引用して、このようにいいます。

「施す者は天に生まれ、受くる者は獄に入る」

いいかえれば、他人に与える者は幸せになり、もらってばかりいる人は不幸せになる、ということです。

どうやって働かずにカネを稼ぐことができるか。

どうやったら簡単に稼ぐことができるか。

どうしたらもっと良い暮らしができるか。

事故が起きたらどうやって相手からたくさんとれるか。

どうやったら嫌いな人と会わずにいられるか。

そういって、自分の都合のいいものばかり欲しい欲しいと思って生活している私たちです。

しかし、もらったらそれで満足しているでしょうか。

ひとつもらったら、もっともっとと欲が大きくなっていないでしょうか。

物質的に豊かになっても、それが幸せにつながるわけではないということは、実は科学的にも証明されていることです。

人は、いくらカネがあっても、ものがあっても、まだまだ足りないと考えているのです。

反対に、他者に与えることで幸福度が上がるということも、科学的にわかっていることです。

自分の持っているものを手放し、相手に与えて相手を喜ばせることが、自分の幸せにつながっているのです。

私は、すべての人はみんな努力して精一杯生活していると思っています。

しかし、その努力の方向性を間違えることで、自分自身を苦しめているのではないでしょうか。

なぜ自分が努力するのか。

それは、他人のためになるからです。

他人を助け、他人の幸せを願い、他人の力になるために、自分の力をつけていくのです。

なぜ他人のために行動するのか。

それは、自分のためになるからです。

他人を助けることが、自分の力になるのです。

「受ける者」ばかり増えて、自分のためだけに考えて行動している人が多くなったような気がします。

もう一度、人としてのあり方を考えなしていく必要があるのではないでしょうか。

参考