「学問ははじめて見たつるはきわめて大事なり」
法然上人が九歳の時、父親の漆間時国が夜襲に遭って非業の最期を遂げ、これを機に出家をしました。
皇円上人のもとで修行をしていた法然上人は、十八才のときに比叡山西塔の黒谷に籠もっている叡空上人を訪ねました。
これ以降、法然上人は比叡山をおりるまで、黒谷を本拠地として修行生活を送りました。
自分自身が救われるために、そしてすべての人が平等に救われるために、そのための教えを求めて毎日修行し、勉学に励みました。
しかし、そう簡単にその教えが見つかるわけではありません。
時には南都奈良へも足を運び、多くの人から教えを請うてまわったといわれています。
それでも、なかなか思うような答えを見つけることができませんでした。
そのとき、法然上人はこのように言っておられます。
「学問ははじめてみたつるは、きわめて大事なり。師の説を伝聞はやすきなり」
誰に聞いても、伝え習った師匠の教えと同じことしか教えてくれない、それが学問というならば、なんともたやすいことであるというのです。
それ以上に大切なことは「はじめて見たつる」であります。
これまで伝えられてきた教えで救われないのなら、ひとつもふたつも考えを巡らせて、新しい考え方を作り出す必要があるのです。
こうした気持が「ただ一向に念仏すべし」といって、念仏一筋に生きる新たな仏教感が生み出されたのではないでしょうか。
法然上人は、きっと早い段階から仏教の真髄に気付いていたのではないかと思うのです。
しかし、その方法では難しい、万人が救われることはできないと嘆いたのです。
そしてお念仏の教えに出会われました。
それは、それまで誰もが説くことのなかった新たな仏教の見方であって、南無阿弥陀仏の六字には仏教の全てが込められているのであります。
もう少しこのことを身近な所に置き換えてみると、インターネットどころかAIが急速に発達した現代において、「学ぶ」ことの本当の意味を考えさせられます。
簡単に世界の裏側のことまで知ることができ、情報にあふれている今、本当に大切なものはいったいなんなのでしょうか。
それこそ「はじめてみたつる」が大切なのではないでしょうか。
知識としてあれもこれも知っているだけでは、生きていく上で本当の役には立たない。
得た知識を、どのように自分の中で消化して、活かしていくのか。
本当の学問のあり方を考えさせられます。