「ふしぎ」金子みすゞ

「ふしぎ」金子みすゞ

「ふしぎ」
金子みすゞ

わたしは不思議でたまらない
黒い雲から降る雨が
銀に光っていることが

わたしは不思議でたまらない
青いクワの葉食べている
蚕が白くなることが

わたしは不思議でたまらない
たれもいじらぬ夕顔が
一人でパラリと開くのが

わたしは不思議でたまらない
たれに聞いても笑ってて
あたりまえだということが

金子みすゞさんの詩は、いつ読んでも味わい深く、心に響きます。

童謡詩人として多くの詩を残されましたが、その作品は子どもたちだけでなく、私たち大人にも深く考えさせるものばかりです。小学生の時に国語の教科書で学んだことが今なお記憶に残っていることからも、いかに人の心を打つ、印象的な詩であったかがわかります。

金子みすゞさんは、昭和5年(1930年)に26歳という若さでこの世を去られました。時を経て、その詩が初めて教科書に掲載されたのは平成8年のことです。その中の一つが「ふしぎ」という詩です。

七五調で整えられた詩は、リズムが良く耳に心地よく響き、まるで音楽を聴くようです。

黒い雲から降る雨が、透明な銀色にほのかに光る。

青い桑の葉を食べていたお蚕さんが、白い体になって、やがて絹糸を吐いて繭になる。

夕顔のねじれたつぼみが、ぱらぱらとほどけて白い大きな花を咲かせる。

壮大な自然の美しさ、不思議さを描いた、金子みすゞさんらしい詩です。

私たちが「あたりまえ」だと思っていることが、実はどれほど不思議なことなのか、この詩を通して気づかされます。

空から雨が降ること、蚕から絹糸が取れること、夕顔の花が咲くこと…。そんな「あたりまえ」の光景を深く見つめることで、自然の神秘を感じ取ることができるのです。

近所のお寺のご住職が言っていたことを、ふと思いだしました。

「不思議なことは、不思議なこととして受け止めなさい」

科学が発達した現代、言葉で説明できないようなことは信じないという風潮が強くなってきました。しかし、不思議なことを不思議なこととして受け止めることで、心の豊かな人間になることができるというのです。

いいかえれば「不思議だなあ」と思うことで、自然と感謝の心が生まれてくるということなのです。

日常にある「あたりまえ」のことを、決して「あたりまえ」と思わずに、「不思議なもの」として見ていく。そうすることで、物事の見方が変わり、新たな発見があるのではないでしょうか。

供養なら、和歌山かんどり本山総持寺へ

私たちは、この一瞬一瞬を「独り」で生きているわけではありません。常に、仏さまやご先祖さまといった大いなる存在の見守りと救いの中にあります。

遥か昔から連綿と続く命のリレーの中で、無数のご縁とご尽力によって、私たちは今ここにいます。平穏無事に今日も生活できるのは、すべてその大きな力のお陰です。この事実に気づくとき、私たちは自然と感謝の念を抱かずにはいられません。

この感謝の気持を行動に表したのが、「供養」です。

「供養」とは、このいただいた命への感謝であり、ご先祖様や故人様への報恩の心を形にする行いです。

和歌山市に位置するかんどり本山総持寺は、「いつでもお参りができるお寺」として、心の通う供養を大切にしています。仏さまやご先祖さま、故人を偲ぶ場所は、いつでも気軽に訪れられる場所であってほしい。そんな願いを形にしたのが当山です。

特に近年ニーズが高まるお納骨永代供養についても、安心して任せていただけます。永代にわたる供養と管理を通じて、ご遺族様の負担を軽減し、「近いからいつでも会いに行ける」という安心感を提供します。

ご供養は、命をいただいて今を生きていることに感謝をし、自分自身の心も清める大切な行いです。しあわせな未来を生きていくために、ご供養は、歴史と安らぎに満ちたかんどり本山総持寺へ、ぜひご相談ください。